発信を怠っていたせいであまり人に伝わっていなかったので、改めてお話します。
あんな記事やこんな記事を書いておきながら現在ワテクシ、佐用町では暮らしておりません。
正確には、佐用町「だけ」には暮らしてません。
色々訳あって、二拠点生活を始め(て)ました。
カッコよく言うと、デュアルライフってやつです。実はもう7月くらいからそんな感じです。
で、もう一つの拠点はどこかと言いますと…
実家です。
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..
…説明させて下さい。
おいおい、たまり場作るんじゃなかったのかよ
先日書いた記事、すごく多くの人に読んでもらえたみたいで本当にありがとうございます。
佐用町にぼくらが作りたい「場」って、こんな感じです。 | metroglyph メトログリフ
これをきっかけにぼくの活動を知ってくれた人も多かったみたいで、後日すげーブロガーさんたちが遊びに来てくれたりもしました。
…で、あんな記事を書いておいて佐用町にいないってどういうことだって話なんですが、のっぴきならない事情がありまして・・・。
順を追って説明させてください。
きっかけは祖母の入院と妹の転勤
うちの実家は元々二世帯住宅でして、(母方の)祖母、母、そして妹が三人暮らしでした。(父は単身赴任)
母も妹もフルタイムで働いているので、基本的に日中は祖母が家で一人だったのですが、昨年11月、それまで元気だった祖母が倒れました。
以前から足や腰の痛みを訴えることがあったのですが、どうやら血栓が出来ていたようで、それによって体内の血の巡りが悪くなってしまい、突如入院・・・。
ばあちゃんが倒れて慌てて大阪に戻って来たのですが、とりあえずは大丈夫っぽい。
少し入院することになったので、24までは病院で仕事。— 原田 進歩 (@sagatman) 2016年11月21日
年越しは家でしたいと願ってはいたものの叶わず、結局入院は3ヶ月に及び、無事退院できたのは今年の二月に入ってからでした。
この入院期、母はほぼ毎日、妹は可能な限り病院へと足を運んでいたのですが、共にフルタイムで働く二人をサポートするためにぼくも帰阪する頻度を増やし、極力病室に顔を見せるようにしていました。
今日は祖母の手術の日。朝から一日病院に。
— 原田 進歩 (@sagatman) 2016年12月14日
2月の退院時は、当初訴えていた痛みはなくなっていたものの、長い入院生活で足の筋力が衰えてうまく歩けなくなっており、祖母はいわゆる要介護状態になっていました。
といっても上半身は全然元気で顔色も良く、なんなら痛みが亡くなった分前よりも笑顔が増えたんじゃないかというくらい。ただ足が思うように動かないので、サポート無くして日々の生活をこなすのは難しい状態。
なのでヘルパーさんに来てもらったり、デイサービスを利用しつつ母と妹が仕事の前後にサポートする、というような形になり、ぼくも引き続き帰阪の頻度を増やしてその補助に回っていました。
退院後、足が不自由になった祖母の介護(と言っても簡単な手伝い)と母親の出張が重なったために実家に戻ってきているのですが、朝からいろんなサポートが必要で、介護に携わる人達の労力を思い知る毎日。
これから家事ですが、ここに普段、さらにフルタイムの仕事をしてる母親には頭が上がらない。— 原田 進歩 (@sagatman) 2017年2月25日
そんな中で、7月より妹の東京転勤が決定。
フルタイムで働く母一人でこの状況のカバーはさすがに厳しいということで、いったん佐用町での生活は中断し、メインの生活圏を実家に戻しました。
この時ばかりは切実に、時間に都合の効くフリーランスで良かったと思いましたね…。
大阪の方が仕事はしやすかった
正直、祖母の入院中から大阪にいる率が増えたことで、仕事の効率は上がっていました。
ちょうどその時期から、ぼくが一緒に仕事をしているチームでの仕事が増え始めており、対面での打ち合わせなども増えていました。
そういう状況下で、電車であちこち移動できる都市部の交通はやはり便利。
これまで他のメンバーにまかせていた現場での作業や出張の頻度も増やすことができるようになりました。
どこでも仕事できる。
だからメリットの多い実家でやる。
これを、戦略的実家暮らしと呼んでいます。(貯金してるだけ
— 原田 進歩 (@sagatman) 2017年9月17日
また他のメンバーと会う頻度も増えたので、それまでSkypeやチャットワークで行っていた単純な仕事の進捗だけでなく、面と向かった意志の共有であったり議論を交わす機会が増え、より案件への取り組み方が効率的かつ精力的になりました。
皮肉なことですが、現場にいないと本質的な問題解決が出来ないと考えて佐用町に住み始めたのに、そのスタンスを貫くためにはずっと佐用にいるわけにはいかなくなった、という感じです。
田舎暮らしに特に不満はなかった
田舎(佐用町)での暮らしそのものに不満があったわけではありません。
もちろん大阪の方が諸々便利ではあったけど、それらがないのにはすっかり慣れていたし、私的には町の人達ともそこそこうまくやれていると思っています。
人との関わりが嫌で都会から逃げてきたはずなのに、より人との関わりが重要な田舎で今生かされてて、だけどここは全然心地よくて、自分があの街で辛かった本当の理由は、一体何なんだろうとふと。
— 原田 進歩 (@sagatman) 2017年1月30日
ぼくは田舎生活、超楽しい。だけど、これを楽しめる人間とそうでない人間がいる。
— 原田 進歩 (@sagatman) 2017年2月4日
100%インターネットで完結する個人の仕事や、抱えている案件が佐用町だけなら、そのまま環境を変える必要もありませんでした。
しかし先の祖母の件もあり、さらにありがたいことに大阪や京都、三重など他の地域でも仕事をいただくようになり、立ち位置的にも直接現場で人と会わなくてはならないことが増えました。
こうなってくるとやはり、佐用町よりも大阪に拠点を戻した方が何かと都合が良い。
しかも実家だとコストも抑えれるし、設備も揃ってるし何かとメリットは多い。というわけで戦略的実家生活を開始しました。
どこでも仕事できる。
だからメリットの多い実家でやる。
これを、戦略的実家暮らしと呼んでいます。(貯金してるだけ
— 原田 進歩 (@sagatman) 2017年9月17日
でも佐用でやりたいことがある
とは言え、佐用町を完全に引き払って100%大阪に戻る気はサラサラありませんでした。
仕事面だけで考えれば、昨年関わらせてもらった「いなちくロングライド」が一段落した時点で佐用町での案件は終了し、今年も継続してサポートするものの、全てが初めてだった去年に比べて作業量はずっと減りました。
そういう状況だったのでメンバーの間では一時、佐用町の家を引き払うか、という話が出たのも事実です。
ですが、ぼくにはここでまだやりたいことがありました。
それが「たまり場」を作ること。
佐用町にぼくらが作りたい「場」って、こんな感じです。 | metroglyph メトログリフ
その野望を夢物語で終わらせないためにも定期的に佐用には行くことを決め、二拠点生活を開始するに至りました。
現在の状況とこれから
大阪の実家から佐用町までは、共に高速(中国自動車道)のICが近いこともあって、意外にもたった1時間半で移動可能です。
なので最近は週末は佐用町で過ごし、平日は大阪という、まさに行ったり来たりの生活を続けています。
改修であったり、11月に開催される「いなちくロングライド」が落ち着いたら、佐用町に行く日程を定期的にして、「たまり場カフェ」を週末だけとか、〜日だけ、のように運用したいなと思っています。
もちろん使っていない期間は家がもったいないので、その間の活用方法も何かしら考え中です。
ちなみにおばあちゃんも随分と元気になってきたし、30歳独身がいつまでも実家ぐらしというのもなんだか体裁が悪いので、早ければ年内、遅くとも来年の四月までには引っ越そうかなと思っています。
一応、大阪市内へのアクセスが良く、実家にも佐用にもアクセスしやすいということで、現在は大阪空港近くの伊丹市が濃厚。
昨日お邪魔した伊丹。阪急とJRが走ってて梅田まで13分で伊丹空港も阪神高速も中国道も実家も近くて駐車場付きで7~8万で2Lの物件あるしで心ときめいている。
30代のファミリー層が増えてるそうです。ファミリー層が。
— 原田 進歩 (@sagatman) 2017年7月24日
…というわけで、紆余曲折の二拠点生活が始まっているわけでございますが、今後は二拠点生活(デュアルライフ)に関する情報も色々発信していけたらと思っていますので、どうぞよろしくお願いします!