当たり前のことですが、かつて人は自然に存在するものを工夫して使い、熱や光、あるいは水や風などをコントロールして生きていました。
しかし今ぼくらは、いわゆる文明によって生まれた、いわば「人工物」によって「文明的な」(と勝手に呼んでいる)生活を送っています。
この旅を通してぼくが見たかったのは、当然アメリカの大自然やそれぞれの州や都市の文化的あるいは環境的な差異だったりするわけなのですが、ネイティブアメリカンの、それも現代社会で生きる彼らよりももっと昔のまだヨーロッパ諸国が足を踏み入れる前のいわゆる先住民であった頃の彼らの文化でした。
自然を崇拝し、地球と調和し、独自の死生観を持って生きていたというネイティヴアメリカンたち。
彼らに興味を持つきっかけとなったのは、ある一つの映画でした。
メサ・バーデ国立公園のツアー
寝袋から出た頬にひんやりとした空気を感じながら目を覚ます朝。
テントから出ると、昨夜の曇り空はすっかりと晴れ、清々しい空が広がっていました。
朝食を終えて少しまったりした後に向かったのは、前日にビジターセンターで予約していた「バルコニーハウスツアー」。
国立公園内にあるかつてのネイティヴ居住区を回るツアーがいくつかあったのですが、このバルコニー・ツアーはたったの$4。しかも朝一番からの部があり、午後から移動できるというのもあり、参加することにしました。
※他のメサ・バーデ国立公園のツアー情報はこちらから見れます(英語)
>Purchasing Tour Tickets – Mesa Verde National Park (U.S. National Park Service)
このツアーの開催場所であるバルコニーハウスがキャンプ場から結構な距離があったので、少し早めに出発したのですが、道がほとんど一車線しかない中、前の遅い車に引っかかってしまって思いの外時間がかかってしまいました
なんとか時間ぎりぎりにツアーに滑り込み、ツアーがスタート。
ガイドさんに先導されて、一般では入ることのできないエリアへと向かっていきます。
バルコニーハウスはその名の通り、崖の中にあるバルコニーのような形をした住居跡。
岩をえぐった隙間に、人が暮らしたという確かな文化の跡を見ることが出来ます。
岩壁にある足場の細い道を歩いたりはしごを登ったりなど、少し難易度の高い道を歩きながら目的地へと向かっていきます。
向かいの山場が見渡せるここが、かつて先住民の暮らした「家」。
ここで、いわゆる「生活」だけでなく「娯楽」あるいは「宗教行事」などが行われていたような痕跡を見ることが出来ます。
ガイドによるいろいろな解説を通して、ここで暮らした民族の、この過酷な環境の中で暮らすための工夫の片鱗を教えてもらえるのですが、未だ不明な点も多く残っているとか。
今の現代社会におけるぼくらの暮らしとは違い、彼らが「あるもの」を工夫しながら暮らしていたそのアイデア、知識には開いた口が塞がりません。
このような細い隙間が、彼らにとっては家の廊下のような感覚だったのでしょうか。
まるでアートのようなオブジェも、それぞれ何らかの意図を持って、生活のために作られたものなのでしょう。
ここでかつて暮らしていたのは、農耕を主な生活資源としていたアナサジ族という民族。
狩猟系の民族から逃れ、平穏な暮らしを求めるため、外敵から襲われにくいこのような場所に集落を築いていたとか。
過酷な環境の中における「生きるため」の工夫。
いや、それはぼくらが勝手に過酷だと思うだけで実際のところ、彼らにとってどうだったのかはわかりません。
むしろ、自然からの恵みによって生きることができるという幸せを享受していたのかもしれません。
デッドマン
突然ですが、デッドマンという映画があります。
ぼくの敬愛する映画監督・ジム・ジャームッシュの作品で、主演はあのジョニー・デップ。
いわゆる西部劇なんだけれど、バンバンと銃を打ち合うような作品ではなく、劇中のテンションは「淡々」としています。
この物語の導き役とも言える、Nobodyという名のネイティヴ・アメリカン。その彼が、ジョニー・デップ扮するウィリアムに語るネイティヴの死生観。
この映画を初めて見たのは確か10代の頃だったのですが、ここで見せられたその思想というか、彼らのそういったものの考え方がものすごく新鮮で、興味を持ち始めました。
その流れでいくつかの文献や映像なんかに目を通してみたこともあるのですがイマイチピンとくるものに出会えず、ならば自分の目でその彼らの生きた痕跡を辿りたいと思っていました。
それを叶える機会がこの旅であり、実際アコマプエブロであったり、キャニオンデシェリーを訪ねたりしたわけですが、このメサ・バーデにおいて改めて、その彼らの思想の片鱗にようやく少し触れることができたような気がしました。
アーチズ国立公園
感じることがとても多かった分、ツアーが終わってからは他のポイントを特に訪ねることもなく、再びキャンプ場でさっとシャワーだけ借りた後はすぐにメサ・バーデ及びコロラドを後にしました。
この後に向かったのは、ユタ州のアーチズ国立公園。
ぼくの高校時代の友人であり写真家(という肩書きを便宜上使っている表現者)Shota Miyakeの作品で、アーチズの岩のモニュメントを撮影した素晴らしい作品があったのですが、彼の撮ったその景色に一目惚れして、自身もぜひ訪ねてみたいと思ってた場所でした。
コロラドから車を走らせること確か3時間ほど(時間感覚がほとんどなくなっていてあまりはっきりとした時間は覚えてません)。
すぐに入ることのできたメサ・バーデとは違い、アーチズは入り口でも長蛇の車の列が出来ていました。
公園内の景色はメサ・バーデに比べて緑が少なく、より赤く荒野感がありました。
ビジターセンターを訪ねてみたものの中のキャンプ場は全て埋まっており、周辺のキャンプ場なども空いている様子がなかったので、寝床は定まらないままでしたがとりあえず奥へと進みました。
アーチズ国立公園ではその名の通り、いくつもの自然によって作られたアーチを見ることができるのですが、日暮れまでもそれほど時間がなかったので、一つだけ選んで見に行くことに。
ぼくが選んだのは中でも一番人気が高いと言われる「Delicate Arch(デリケートアーチ)」。
公園入り口から20分ほど走った先に、そのアーチへ向かうトレッキングコースへの駐車場がありました。
ここから20分ほどトレッキングしてアーチへと向かうのですが、公園内でもコースの難易度は高めとされており、向かう人も皆しっかりしたシューズやウェアを身につけていました。
ぼくもさすがにここはサンダルではなくスニーカーに履き替え、動きやすい服装&キャップといった装いで、水も十分な量をバックパックに入れて挑みました。
道無き道が続きますが、時折振り返ると素晴らしい景色が広がります。
迷わぬようにこうして石を積んだ目印が用意されていたり。
目印の場所からはさらに次の目印が見えるようになっているので、それらを辿りながらアーチを目指します。
起伏が激しい道なので、スニーカーは必須。
適度に水分補給しつつ、岩の道をくぐり抜けて無事にたどり着いた先に広がるのが、この景色。
大きな広場のような場所に、絶妙なバランスで立つ岩のモニュメント。
様々な要因と途方もなく長い時を経て、このような形になったとか。
ちょっと理解が追いつきません。
やはり公園内でも一番人気のスポットなだけあって、ぼく以外にも多くの観光客が集まっていて、ひたすらアーチを見続ける人や、何度も納得のいく写真を撮ろうとする人、ヨガをする人など様々でした。
ぼく自身も様々な写真&動画を撮りましたが、30分くらいは特に何もせず、ひたすらアーチをぼーっと見続けて、それがたどってきた歴史に思いを馳せました。といっても、ぼくの理解なんてはるかに超えているんですが。
リスペクト地球
このようにしていくつもの絶景を見回っているうちに芽生えてくる、自然への尊敬の念。
圧倒的な迫力とその形成への歴史を辿れば、もはや資源の活用だとか保全だとかいうこと自体おこがましいような気がしてきます。
本来はぼくらのようなちっぽけな存在がこの地球の中に生かされていること自体、奇跡のようなことなのに。
そんな地球の恩恵を受け、自然の厳しさの中で工夫し、それらを信仰・崇拝し、調和するようにして生きてきたネイティヴアメリカンたち。その思想の中には、ぼくらが文明生活の中で失ってきた大事なことがまだまだたくさん隠れている気がするのです。
この地球の中で、文明的、というよりももっと人間らしく、生命らしく生きて行くヒントが、彼らの思想にはあるんじゃなかろうか。なんてことを、ずっと考える、ユタの夜でした。
そんな感じで。