年末ということで、2016年を振り返ってみました。
個人事業主として独立
2016年1月1日付で個人事業主として独立しました。
経緯は上の記事通りですが、正直この段階では見切り発車といってもよく、貯金や固定収入もまともにない状態でした。
ただ、この段階ですでにニューヨークの大学を休学し、初夏に帰国し仕事をすることも決まっていたので、ある意味「覚悟を決める」ための儀式のようなものだったのかもしれません。
仕事をする上でのお金のやりとりのためという現実的な理由もありつつ、「これから独り立ちするんだ」という自分に対し「フリーランス」という肩書きを無理矢理にも課して、自分を戒めようとしていました。
ミニサイト設立
自分の生活が大きく変わると、ブログの色もやはり変わります。
ニューヨークから離れることが決まったので、それまでニューヨーク関係の記事とその他記事が乱立していたブログを整理するつもりで、別サイト「BASIK NEW YORK」を作りました。
ニューヨークの専門サイトとして、これまで書きためたニューヨーク記事をまとめたのですが、これも特に狙いがあったわけではなく、なんとなく自分の中で整理をつけたかっただけです。
ただ、結果的にはこれがブログの収益性アップに大きく貢献し、その後の動きを助けてくれる大きな収益源となりました。
ニューヨークを離れた
大学を休学した時点で正直、ニューヨークには未練はありませんでした。
正直なところ、去年の秋から冬にかけて、惰性でニューヨークにいるような気がしていました。
学校を離れてからパッとしない生活をしていた自分が、ニューヨークにいることに対してあまり意義を感じれなくなっていたし、見慣れた環境に刺激もなくなっていました。
それでも、誰からも責められない自由な環境からは、だらだらと抜け出せなくなっており、何も踏ん切りのつかない状態で、ニューヨークにいるのもしんどい、だけどニューヨークを離れてもどうしようもない、そんな情けない心境にありました。
ずっと帰国する機会を伺っていたのですが、前年の暮れに日本での仕事の話をいただいたことでようやく帰る準備を始めることができました。
悔いのないよう直前であれやこれやとやりましたが、個人的には思い残すことなく、清々しく去ることができたと思います。
アメリカ横断
ニューヨークから離れてすぐに帰国したわけではなく、そのままフロリダ・オーランドに飛び、そこから約1万6000キロ、6週間のアメリカ横断の旅を敢行しました。
旅については一言では語りきれませんが、ホテルなどをほぼ使わない、車中泊とテント泊が主体のこの旅は、自分自身のさまざまな既成概念をぶち壊す、素晴らしい機会でした。
振り返ってみれば、この旅のおかげで出会えた人、モノ、アイデアなどが山ほどあります。
その様子を同時にYoutubeでアップするなどしたりと様々な試みにも挑戦。
旅の後半からネット環境の不足だったり電源の供給が足りなかったりで更新が止まってしまい、ブログ、動画ともに結局今の今まで未完結の状態です。
終わらす気はあります。てへ。
兵庫県佐用町へ移住
帰国したあとはその足で、兵庫県西部、佐用町へと移り住みました。
世界有数の大都市から、日本の人口1万7千人ほどの小さな田舎町へ。
これは、かねてからずっと試したかった「地域、まち」…ひいては「日本」という国に対して自分がどれだけ「使えるか」を確かめるための、大いなる一歩でした。
ただ、暮らし始めたのは数年間空き家だった、古民家。
屋根や壁が隙間だらけな上、ネズミとか大きいクモなどの愉快なルームメイトたちと、毎日なんとか暮らしています。少しずつですが改修中!
仕事について
正直、あまりはっきりとしたビジョンが見えていないまま帰国してきたのですが、主にブロガー兼デザイナーを根幹としつつ、気がついたら様々なプロジェクトに「アートディレクター」という肩書きで参加させていただくようになっていました。
これまでのブログなどの経歴や海外経験、SNSやWebに関する知識などを総合的に使って、ブランディングであったりとかイベントの企画運営などでPRに関する部分を包括的にお手伝いさせていただいています。
その中でも今年一番大きかったのは佐用町を中心に行われたサイクリングイベント、「いなちくロングライド」でしょうか。
こちらのイベントの広報やデザインに携わる部分の統括として、様々なお手伝いさせていただきました。
>>>いなちくロングライド実行委員会Facebookページ
このほかにも、梅田近辺の商店街のインバウンド関連事業であったりとか、他の関西圏エリアでの空き家利活用に関するプロジェクトなど、いろいろとお手伝いさせていただいてます。
そういう関係で、移住はしたものの月の半分くらいはあちらこちらに移動しており、その間にあれやこれやとお仕事をするという、まさに名実ともにノマドワーカーになっていました。
ちなみに12月の仕事、半分くらい入院中の祖母の病室でやってました(笑)
総括:今年はどんな年だったか
2016年。
思い返してみれば、なんともせわしない、とにかく動き回った怒涛の一年でした。
今までとは劇的に違う環境で、まったく知らないことばかりの日々。
途中、あまりに不慣れな状態でパニックになったり、自分の不甲斐なさに泣きたくなるような時もありましたが、おかげで短期間にかなりのことを学ぶことができました。
人生の第何章なのかわかりませんが、ニューヨーク編が終わって新章が始まったような感じ。
いい初速がついているので、来年はさらにこのストーリーを盛り上げていければと思います。
来年へ向けて
2017年。
30歳という節目を迎える年ですが、これまであまり真摯に向き合ってこなかった「稼ぐ」という行為にもう少しアクセルを踏みます。
というのも今年は「お金の壁」に何度もぶち当たったから。
今、仲間内でいろいろな事業プランが立っているのですが、実現のためには人を雇ったり改築費用を捻出することができないために実現できないものが多くあります。
もちろん、助成金や融資などに頼るのも一つなのでしょうが、そういうものがなくとも、自身で事業を立ち上げられるだけの資金力があれば、自分の頭の中のイメージが正しいのかどうかを自己責任で実験することができます。
2018年はそういうことが多少できるようになるためにも、2017年中にはある程度の「資金」と呼べるものを作り出せる環境を目指したいと思います。
そういう意味では、ブログ等の収益拡大も視野に入れているので、上半期は特に積極的に更新していきたい所存です。
立ち位置
あとは、少しずつ見えかけてきている自分自身の立ち位置。
今は「アートディレクター」なんてそれっぽく名乗ってはいますが、実際に立ってるポジションはすごく特殊で、だけどちょっとまだはっきりしないということに薄々気付いたので、その辺りを2017年の中でもっと明確にしていけたらなぁ、と思います。
とりあえずやれることを愚直に続けていく。
賢くないので、とにかくやるしかない。
今年一年続けてきたことを失わず、さらに来年も継続。
引き続き頑張りますので、来年もどうか、宜しくお願いします。
そんな感じで。