大阪で生まれ育ち、直近五年はニューヨークシティで暮らしたぼくにとって、ビル群の地下を(あるいは間を)走る電車に乗るため、仕事のため、学校のため、人との約束のため、時計の針を気にし続けるのはもやはや日常でした。
しかしバージニアの広大な自然に囲まれたこの環境は、時間の流れ方が全然違う気がします。’
ここでの日々は、とてもいろんなことを、気づかせてくれます。
シェナンドー洞窟
前日の約束通り、Kenn叔父の車で一日観光したのですが、この日最初に向かったのは家から15分ほどの場所にあるシェナンドー洞窟。
この周辺ではルーレイ洞窟というところが一番有名だそうで、シェナンドー洞窟は日本語では情報を探しても一切出てこないニッチな場所。Kenn叔父曰く、ルーレイはもっとコマーシャル(商業的)で、こちらの方が人も少なくよりナチュラルに楽しめる、とのこと。
洞窟周辺は穏やかな田舎町で、景色がすばらしかった。
時折聞こえる車の音以外は、心地よい自然の音のみ。
この建物が洞窟への入り口。
中には、まさかの郵便局が。「一番小さい?」となぜか疑問系。知らんのかい(笑)
入場料は$25。
見学はツアー形式で、30分に一回くらいのペースで行われているみたいです。
中に階段があったのでそこから行くのかと思ったら、まさかの奥のエレベーターで。
地下に降りると、いきなり広がる景色にびっくり。
何千年もかけて少しずつ出来上がった石灰岩と鐘乳石の洞窟は、まるで作り物のようにすら見えました。
その理由は、例えば映画に出てくるエイリアンなどの造形や、ゲームの世界に見えたから。
ああいうデザインを考える人ってすごいなってずっと思ってたんですが、おそらくインスピレーションになるものってのは必ずあって、きっとこういう鐘乳石の形状などからインスピレーションを受けたものも必ずあるのだと思います。
ガイドさんが、「ベーコン」と呼ぶのも納得の形。
他にも、目玉焼きや人参など、食に関する例えが諸々。
最後に見た鐘乳石のモニュメントは、違う色の光によって光る部分が変わる、それこそまさに人工物のようなモニュメントでした。
石がこの形になるまでに一体どれほどの時間がかかったのか、考えるだけでも気が遠くなりそうですが、実際それを経てきたという事実、地球の歴史に思いを馳せると鳥肌が止まりませんでした。
シェナンドー国立公園
洞窟を出た時はまだ天気も良かったので、その足で一度昼食を済ませ、シェナンドー国立公園へ。
しかし、着く頃には天気が荒れてしまい激しい雨に。
ただ、国立公園の年間パスを購入するという目的があったので、叔父の「バージニアの天気は変わりやすい」という言葉にも後押しされ、とりあえず向かうことに。
アメリカに多くある国立公園ですが、通常公園一つあたり入場料が$20必要です。
しかし、$80の年間パス(Interagency Annual)を購入すれば、一年間、アメリカ中の国立公園(及び特定の政府管理地区)に入り放題になります。(公園内のキャンプ場などは別料金)
この旅ではこれから国立公園には幾つか行く予定なので、絶対に購入した方がお得だと判断しました。
購入はオンラインでもできるそうですが、国立公園の入り口でも可能です。
現金、もしくはクレジットカードで、パスポートなどの顔写真付きのIDが必要です。
年間パスはカードで、車につけるタグが一緒にもらえます。
裏には二人分のサイン箇所があり、今後もほかの国立公園に入場する場合は写真付きのIDを一緒に掲示する必要があります。
結局公園の中でもずっと雨が続き、公園の中のトレイル(歩道)を歩きたかったのですがそれも叶わず。
しかし、頂上を越えたあたりで天気が少しずつ良くなってきて、ビューポイントでは素晴らしい景色が広がりました。
エントランスから少しずつビューポイントへと山を登っていく形なのですが、上に行くにつれて緑が少なくなっていきます。これは、標高の高い部分は気温が上がるのに時間がかかるため、春が遅れてくるためだとか。
山の上の方はまるでまだ雪が解けたばかりの冬のようで肌寒く、緑も少なく少し寂しい気配すらしたのですが、そこから見下ろす春の景色は壮大でした。
冬から見下ろす春。
今まで立ったことない(というより意識したことのない)境界に立つという初めての感覚。
ぼくはまだ、地球を全然知らない。
穏やかな時間
存分に山の澄んだ空気を楽しんだ後は帰宅し、仕事から帰ってきた叔母と三人で少し早めの夕食。
食事中は、日本の「お隣さん」「ご近所さん」とアメリカにおける「neighbour」との感覚の違いや、人間関係、そこから仕事に対する考え方など、いろんな話をしました。
アメリカの田舎町で暮らす二人の視点は、日本やニューヨークの人のそれとはまた違う非常に独特なもので、話していて全く飽きません。
食後は三人で、リビングでテレビを見ながら(ぼくは作業をしながらですが)リビングでのんびりとした時間を過ごしました。
皆が揃って、リビングでゆったりする。
この時、特に時計を気にするわけでもなく、ただ、お腹が空いたからご飯を食べ、暗くなってきたから少しゆっくりして、眠たくなってきたから眠る。もちろん、多少なりの時計に対する意識はあるものの、叔父叔母と過ごすここでの一日は、時計に合わせているというよりは、とても自然に、地球と、自分の体の時間の流れに沿っている、そんな気さえします。
だから、とても自然体で、本当にリラックスできて、心地良い。
いつも時計を気にし、忙しく動く人混みに囲まれ、摩天楼の中をかいくぐる日々の中、最後に本当に心から穏やかになったのは一体いつだっただろうか。ぼくは一体、何に合わせて動いていたんだろうか。
地球という大自然の中に、人間があとから付け足した概念、ルール。自分たちで作ったそれに、いつの間にかぼくらは操られているのかもしれません。
そんなことを考えながら、鳥のさえずりを聞くバージニアの夜です。
この日の模様を動画でも
そんな感じで。