知り合いが一人もいない、アメリカ中部の街のど真ん中で、お金がなくなりました。
というか、現金を得る手段を失いました。
当然めちゃくちゃ焦りました。
だってお金がないと「あれもできない」「これもできない」から。
そこで考えました。
「お金ってなんだろう?」
キャニオン・デ・シェリーの朝
昨日回ったのはサウス・リム。
この日は、北側であるノース・リムを通って、北を目指すという流れに。
正直食べ飽きてしまったインスタントたちですが、今日を生きるためにと腹の中に詰め込み、さっさとテントを片付けて車を走らせます。
最初は苦戦し倒していたテントも、慣れれば一瞬で片付けるようになってました。人間とは成長するもんです。
しゃーっと車を走らせれば、起きて早々ぶっ飛ぶような景色。
ただでさえ広い地球。さらに雲一つなくだだっ広い空のコントラストがすごかった。
この旅を通して色に対しての理解?が少し深まった気がします。
自然の中にある色とそうでないもの。光と色の関係。
これは日本の田舎でも思ったのだけれど、自然風景の中にはものすごい数のあらゆる色があって、実際のところそれの組み合わさり方が違うだけ。
天気や季節によって、そのパレットはどうにでもなるから、実は日本の田舎でもアメリカの荒野でも、色という意味では実は大差ない。
ならば絶景が絶景たる所以は?といえば、それぞれの比率と地形なんですね。
その地理環境とか天候によって土地がどのように育ったきたのか。それによって、絶景というのは絶景に成っている。
ということを考えると、地理とか地層とかってめちゃくちゃ面白いということに気づいたのですが、これにもし中学生の時だったら、ぼくの人生は大きく変わっていたのではとか思う今日この頃です。(中学の時の地理の成績は目も当てられないものでした。)
コロラドへ
そんなこんなで自分のアナザーライフに思いを馳せつつ、再び電波の入らない道をひたすら走って目指した先はコロラド州。
地図で見ると結構な距離だったのですが、走ってみれば意外とそうでもありませんでした。(多分何もない道で凄まじいスピードを出していたのかもしれません)
現金が尽きた
冒頭でも書きましたが、この時、現金が尽きました。
というか、現金を得る方法を失いました。
実はこの時、手持ちの現金とデビットカード直結の現地の口座に合わせても$10ほどしかなかったのですが、数日前から少なくなっていく現金に不安を感じており、日本円を入れていた新生銀行の口座からお金を移さないとなーと思っていたのですが、グダグダとしているうちに気がついたらこんなギリギリになっていました。
▶︎留学先や海外で「やべ、現金ない!」そんな時のために新生銀行の国際キャッシュカードは持って行った方がいい – BASIK NEW YORK
ATMで引き出し、現地の口座に移し替える、という簡単な作業がどうにもめんどくさくこの時まで放置してしまっていたのですが、ここに来てようやく、(割と生きるか死ぬかレベルの額になってきたので)重い腰を上げて口座へと向かいました。
そして新生銀行のカードを利用して現金を引き出そうとしたところ
“PASSCODE ERROR”
あれ?
.
.
.
“PASSCODE ERROR”
!!??
.
.
.
“PASSCODE ERROR”
あっ・・・!
.
.
.
何回目だったのかはわすれましたが、この後ロックがかかり、使えなくなりました。
—
この後、新生銀行のカスタマーセンターにSkypeの有料電話を使って問い合わせ、パスコードのの再発行手続きを行うことに。
街のファーマシー(薬局)の駐車場でカスタマーセンターの方としばらくやりとり。
昔のパスワードはなんだったかとか色々聞かれて途中クイズ大会みたいになったのですが、なんとか手続き完了!
カスタマーサポートの人が意外とフレンドリーな人で、途中、同情してくれたのか私情と仕事の間での葛藤のようなものが垣間見えました。
最後になんとか質問系を全てクリアしたのち、やっとパスコードの初期化手続きが完了。
担当の人が嬉しそうに一言。「では、新しいパスコードを一週間ほどでお送りいたします!」
.
..
…
えええええええええええええええええええ!!??
その場で新しいパスコードを発行してもらえるわけではなく、新しいものが届くには(しかも実家に)一週間ほどかかるとのこと。
つまるところ、これから一週間は新生銀行の口座から現金を引き出すのは不可能、ということ。
Oh…。
一応クレジットカードは所有しているものの、意外と現金が必要な場面の多いアメリカの内陸部。
特にキャンプ場などでは現金しか使えないところも少なくありません。
現金がなくてもマクドナルドなど、食うには特に困りませんが、やはり不都合が多いのも事実。
手持ちはポケットの$5とあとなんぼかの小銭。現地の口座にも$5ほど。
しばし呆然と、駐車場で固まっていました。
テクノロジーと友情に救われた
さて、どうしたものか。
早急に現金が必要な場面は今の所なかったのですが、これから何が起こるかもわからない旅の道中にお金をほとんど持っていないというのはあまりに心もとない。
色々悩んだ末、かつてのルームメイトに連絡することにしました。
そうです。
もうお分かりかと思われますが、恥ずかしながらぼくはこの時、かつてのルームメイトである友人にお金を借りることにしたのです。
—
アメリカで使っているChase Bankには、他者との口座間で即座に送金が可能なQuick Payという機能があります。
タイムラグもほぼなく、送金手続きが完了した瞬間からすぐにそのお金が使えるようになるというとても便利な機能なのですが、ルームメイト間で家賃や買い物のお金のやり取りをする時に、ぼくらはよくこの機能をよく使っていました。
(当然クレジットカードのキャッシングなども考えたのですが、実はこの時のぼく、クレジットカードのPINナンバーが分からないという致命的な状態にありました。てかそんなん設定した記憶もない。)
というわけでルームメイトの一人であり、現在いくつかのメディアでファッション関係のライターとして活躍するあっきー(@akkyny)に助けを求めたところ、
「ええよー」(めっちゃ軽いノリで)
どんだけええやつやねんあっきー。
ちなみにその時のLINEのやり取りがこんな感じ。
優しさ滲み出てます。もうその優しさにただただ感謝です。持つべきものは友達です。
あとこの送金システムを作ったChaseもありがとう。
*ちなみにこの時借りたお金はお金が入ってすぐに返しました。
というわけで無事にその場をしのぐお金を手にいれることが出来たぼくは、なんとかこの日の目的地へと向かうことが出来ました。
メサ・バーデ国立公園
コロラドに来た最大の、というか唯一の目的地である、このメサ・バーデ国立公園。
といっても特別に何が見たかったわけではなく、国立公園をめぐる中で外せない場所のひとつだとKenn叔父さんに教えられていたからでした。
というわけでまずは定番のウェルカムセンターに行きます。
基本的に国立公園を楽しむためには、まずウエルカムセンターに行き、マップをもらってスタッフにオススメのポイントを聞いたりするのがオススメです。その場で働いてるだけあって、やっぱり「間違いない」情報を持っているので。
さすが国立。建築にも気合が入っています。
マップをもらうついでに、翌日のツアーについても教えてもらいました。
朝イチのツアーで、先住民の住居をガイドと巡るというもの。ほかのツアーが$20とかそこらだったのに対し、こちらのツアーは参加費がたったの$4だったので、その場で申し込みました。
メサ・バーデ国立公園は山のようになっており、とにかく山道を登っていくようにして各スポットへと向かいます。
ちなみにぼくは事前にオンラインでキャンプ場の予約を取っていたので、まずは先にテントを張るためにキャンプの受付センターに向かいました。
こちらのセンターでは手続きのほかキャンプ場利用に関する説明などをしてもらいました。ショップが併設されており、薪やキャンプ道具、その他簡単な食料品なども買うことが出来ます。
併設されていたシャワーは24時間無料!
管理が行き届いているのか比較的綺麗で、嬉しくなります。
というわけでこの日はさっさとキャンプ場でテントを張り、意気揚々とシャワーを浴びに行ってからご飯を作ったりキャンプファイヤーをしてのんびりしているうちに、気がついたらすっかり夜になっていました。
夜、木陰からいきなり鹿が顔を出してきた時は声にならない悲鳴が出ました。
お金ってなんなんだろうか
夜、一人火を見つめながら、お金について考えました。
昼に自身が置かれた状況の中、感じた不安の正体について真剣に悩みました。
ぼくは元来、お金が好きではありません。
本来お金なんてのは物々交換の間に入るツールでしかなく、日々の生活において捉われるようなものではないはずなんです。
だけど人はお金のために努力し、お金で人を判断し、お金で夢を叶えたり諦めたりしなくちゃいけない。
どれだけあってもそれを守るために不安になるし、なくなったらものが買えなくなるから不安になる。
本来は、衣食住さえ満たすことが出来れば人は生きていけるはずなのに、資本主義社会の中で「お金を稼ぐ」という行為がさも当たり前のように人の営みの中に組み込まれてしまった。
結果、お金というものを中心とした、お金に振り回される人生を生きなくてはいけなくなってしまった。
ぼくは頭が悪いので、論理的にその不都合性や間違いを指摘することが出来ません。ですが、なんとなくそれについて苛立ちを覚えるのです。どうにもそれが正しいことにはおもえないのです。
天は人の上に人を作らずと言った福沢諭吉。その肖像が印刷された紙切れが、人の上下を作っているその状況に、違和感を感じているのはぼくだけでしょうか。
そんなことを考えながら更けていく、コロラドの夜でした。
そんな感じで。