シカゴ自体には別に全く興味はありませんでした。
というか、そもそも大都市を訪ねること自体、この旅の本意ではありません。
ただ、ニューヨーク外に住む数少ない友人の一人、Stevenがシカゴにいました。
スティーブンの家にて
昨晩のシカゴ到着後は、ニューヨークで知り合った友人であるStevenの家に泊めてもらいました。
(動画から切り出したのでブレブレ)
彼とは一時期ぼくがオーガナイザーをしていた日本語学習のミートアップで知り合いました。
いわゆるサブカル好きの日本好きとは一線を画す、もっと伝統とか考え方に強い興味を持ったタイプのアメリカ人で、互いに建築や映画が好きなこともあって当時よく遊んでいた一人です。
ぼくの一時帰国や彼の短期留学、およびシカゴへの転勤などが重なって、再会はもう一年近くぶりだったのですが、お互いの近況報告だけでも話は止まらなさそうだったので、続きは明日に、とほどほどに就寝。
朝起きるとStevenはすでに仕事に行っていて、ぼくは昼前まで少し作業をさせてもらった後、せっかくなのでシカゴの街探訪へ。
前日にざっくりとStevenに大雑把な街の概要は聞いていたので、それを頼りに適当に歩くことにしました。
リンカーンパーク動物園
Stevenの家がシカゴの街北側、川沿い(リバーサイド)にあり、いくつかの観光地がその沿いにあったので、川沿いをひたすら歩いて下ることに。
最初に川沿いを歩いてたどり着いたのが、シカゴのセントラルパークとも言える、リンカーンパーク。
巨大な敷地の中に、年中無休かつ無料の動物園がありました。
平日の昼間にも関わらず、家族連れで賑わう園内。
気温も暖かく、入り口に入るとすぐに、虎がぐったりとしていました。
そういえば動物園なんていつぶりだろうか。
ぼくの記憶が正しければ、動物園というのはもっと生き物くさかったはずだけど、この動物園は全然くさくなかった。
後でStevenにそのことを言ったら、「公園がとてもオープンだからじゃないかな?」と言っていたけど多分違う。
かなり意図的にそのにおいを消すために何かをしている。
昨日の記事にもつながる部分だけれど、ここは、「人のために」つくられた空間。つまりは、そういうことなのでしょう。
公園からの景色には思わず息を呑みましたが、閉じ込められた動物たちについて考えてテンションが下方に向かっていたので、足早にその場を去りました。
ネイビー・ピア
動物園をほどほどに抜け出して川沿いを歩いてたどり着いたのは、商業施設ネイビー・ピア。
シカゴ観光の中でも最も人気の高い施設だそうで、レストランはもちろん、ミュージアムやショップ、テーマパークなどが併設されています。
多くの観光客が溢れかえり、人々の嬉々とした声の中、アラサーのぼくは「一人で一体何をやっているのだろう」と自問していました。
うん、デートしたい。
ダウンタウン散策
そのまま西に向かって歩き、ダウンタウンへ。
自分がニューヨークから来たから故か、ダウンタウンの景色を見てはマンハッタンと色々比較をしてしまいます。
ニューヨーク、LAに続き、全米第3位の街として知られるシカゴ。
しかしぼく的には、両者と比べてみても、圧倒的にシカゴが一番規模が大きく、また都市として洗練されているように見えました。
特にニューヨークではウォールストリートかもしくはミッドタウン界隈にあたるであろうビジネスディストリクト(と呼ぶのかはしらない)は非常に整った雰囲気を醸し出していて、大阪で言うと中之島とか淀屋橋あたりの雰囲気を思わせる景色で、どこか懐かしい気さえしました。
より繁華街に近いエリアは、多くの人が行き交い賑わっており、ホームレスや物乞いの率も増え、街自体が汚くなっていくのはニューヨークと同じ。
ただしそれぞれの規模はやはりニューヨークに比べてもずっと大きく、改めてニューヨーク(マンハッタン)という街の大きさの小ささと、しかしそれでいて世界有数の経済都市として名を轟かせているそのポテンシャルに衝撃を覚えました。
そんなニューヨークともまた違う、シカゴの持つなんとも言えない異国感。自分でもおもしろかったのですが、同じ国なのに、地下鉄に乗る時になんだか妙に緊張してしまいました。
ウィッカーパーク
Stevenの仕事後に合流する予定だったのですが、時間が迫っていたのでダウンタウンは切り上げ、次なる目的地へ。
目指したのは、現地のアート学生に教えて貰った、ヒップなエリア、ウィッカー・パーク。
カフェやレコードショップなどが立ち並ぶ、少し前のブルックリン・ウィリアムズバーグや、最近のブッシュウィックあたりを思わせるエリアでした。
思えば朝から何も食べておらず、何か食べたいなーと思っていたぼくの頭をよぎったのは「シカゴピザ」
そう。
シカゴの名物といえばシカゴピザ。
あの、分厚くて中身が詰まった、見るだけでお腹いっぱいになりそうなシカゴピザを食べずにはシカゴからは出れまい。
というわけでTwitterのフォロワーさんから、シカゴピザの有名店Giordano’sを教えてもらうも、Giordano’sはテイクアウトはやっていないとのこと。わざわざレストランで食べてチップ払うとか、俺にとってのピザはそういうのじゃないんだよ!
というわけでYelp。海外版のぐるなび。超便利です。(参考リンク:旅行先でのグルメやスポットの管理には、yelpのアプリがめっちゃ使えるよ – BASIK NEW YORK)
で、調べたら駅前にピザ屋さんを発見。
意気揚々と乗り込むと、なんとも雰囲気のいい、これまたブルックリンにあってもおかしくなさそうな、倉庫風インテリアのお店。
豊富なラインナップにどれか迷っていると、店員さんが凄まじいスピードで一枚ずつ紹介してくれたのですが(全部で10種くらいあった)結局ほとんどどれが何か聞き取れず、とりあえず一番美味しそうだったやつをピック。
が、これ。
どうですか?美味しそうでしょう?
え?
ああ
はい。
シカゴピザではありません。
お腹空きすぎ歩きすぎで足疲れすぎで座るまで気づかなかったんですけど
シカゴピザってこういうのじゃないよね。
ぼくが言うてたのは
そう。
こういうの。
もう一度見てみましょう。
薄っ!
シカゴにあるピザ屋さんはみんなシカゴピザ売ってると思ったんだけど、どちらかといえばこれはニューヨークスタイルのピザ屋さんでしたね。通りでお店もブルックリンぽいわけだ!
というわけでシカゴピザは食べ損ねました。
Headquarters Beercade
Stevenの仕事終わりに合流後、向かったのはHeadquarters Beercadeというお店。
こちらは、バーとゲームセンターが一体になった、いわゆるBarcade(バーケード)スタイルのお店。
ニューヨークにもそのまんまBarcadeというお店があるのですが、ニューヨークの店舗と違い、こちらのBeercadeはなんと、ゲームが無料。
ピンボールからアーケード型まで、基本的に古いものばかりですが、かなり多くの種類が揃えられていました。
ピンボールは日本のパチンコばりのクオリティ。(パチンコはやりませんが元ゲーセン店員です。)
アメリカなめてました。
ちなみに、奥の方にひっそりと置かれていたこいつを見つけた瞬間、Stevenがノリノリで「やろうぜ!」と誘ってきました。
ぼくが使うのはもちろんサガット。
基本的にスポーツもゲームも人と対戦プレイするのは得意じゃなくて、ストⅡなんて波動拳の出し方すら良く分からないレベルのぼく。
そんなぼくといい勝負のSteven。(ほぼ初プレイ)
何気にビール飲みながら非常に低レベルな戦いで小一時間白熱しました。
運動()の後はなかなかにお腹も空いたので、一旦外に出て、近場のBBQレストランへ。
結局バーガー。本当、この旅こんなんしか食ってない。
ご飯を食べながら、Stevenの日本留学(2015年の9~12月の三ヶ月)の話を聞いたり、日本語の難しさや文化、伝統などについて話したり、自分がこれまでにアメリカを旅しながら見てきたり感じてきたことを伝えたり、その他大統領選挙についての話など、随分とたくさんの話をしました。
Stevenは、見た目は映画にでも出てきそうな典型的なアメリカ人なんだけど、どこか日本人的な謙虚さとリズムを持っている不思議な人間で、彼の観点がすごく面白くて、彼の目から見た日本だったり、このシカゴがどういう風に見えるのかをすごく聞きたかったし、実際聞けて、色々と参考になりました。
やっぱり彼に会うためにシカゴまで来て正解だった。
飲みに行く前もご飯を食べに行く前もStevenは、ススムの好きなことをしよう!好きなものを食べよう!何したい?何食べたい?とあれこれ聞いてくれたけど。(俺、お前に会いに来ただけやねん笑)
英語が話せて良かった
月並みですが、この数時間Stevenと身のある話が出来たことを振り返って、本当に英語が話せて良かったと、切に思います。
ぼくは勉強としての英語がとても嫌いです。ファッションとしての英語も、ビジネスパーソンとしてのスキル()としての英語も、反吐が出そうになります。具体的になんの役に立つか良く分からない勉強は、英語に限らず嫌いです。
そんなぼくが英語ができるようになったのは、ただ単純にやりたいこと(NYでインテリアデザインの勉強)のために必要だったから。
言語はツールです。
人と人がコミュニケーションをとるために、あるいは何かから情報を得るために利用する道具でしかありません。
Stevenが日本語ペラペラなら、そっちの方が楽だからそっちで話したい。
だけどそうはいかない。
Stevenの日本語はまだ、文化や宗教の話をするには拙い。
だけど、ぼくが英語をそこそこに話せるおかげで、彼とはそういう話が出来る。
英語出来て良かった。
コミュニケーションが取れて良かった。
そういう身近な喜びが、日本の英語教育にはないよなぁ。だから日本人って、英語に対しての意識が低いのかなぁ。
なんて思ったり。
「身近に英語が話せる環境」
よりも
「身近に【英語が話せて良かったなぁ】と思える環境」
を作ることが、大事なんじゃないでしょうか。
どうすか、文科省のお偉方。
とりあえずぼくが作ってみようか。
この日の模様を動画でも
そんな感じで。