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祖父のカメラとぼくとニューヨーク。2

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祖父のブロニカを持って何度かニューヨークの街を歩いた。

歩いてはいるが、まだそれほどシャッターは切っていない。
これを書いている時点では、まだ10枚も撮っていないはずだ。

特に撮るものにこだわりもなければ、何を撮りたいというのもないのだが、ただこれを肩にかけて、祖父のことを考えながら街を歩いている。

そもそも、シャッターを切ることは目的ではない。
このカメラを持って歩くこと。祖父と歩くことが、目的なのだ。

目次

ブロニカS2について

祖父のこのカメラは、発売が1965年。もう50歳を超えている。

祖父がこれを新品で買ったのか中古で買ったのかはわからないが、調べたところ発売されたのが母が生まれた直後(1965年)だった事実に、なんとなくストーリーを想像してしまってニヤついてしまう。

何はともあれ、ぼくが生まれた時にはこのカメラは存在していた。

6×6cmの正方形の写真が撮れる、スクエアカメラと呼ばれる種類のカメラらしい。

創業者である、吉野善三郎氏が、ハッセルブラッド(スウェーデンの有名カメラメーカー)を超えるカメラを作るために設立したブロニカカメラの製品で、その吉野氏の意図通り「日本のハッセル」とも呼ばれた名機らしい。(実際、持ち歩いていた時に、ブルックリンのカフェに居合わせたフォトグラファーに話しかけられ、15分ほど熱く語られた)

未だに根強い人気があるらしく、愛用する人たちは「ブロニカン」などとも呼ばれるらしい。

フィルムはブローニーフィルムと呼ばれる6×6のものを使い、120なら12枚、220なら24枚と撮れる仕様になっている。

シャッターを押すまでには、

シャッタースピードを手動で設定し、
フィルムを巻いてシャッターをチャージし、
遮光板を引き抜き、
ファインダーを覗きながらピントを合わせて

…と、デジカメのオートマチックに慣れたぼくらには気の遠くなるようなプロセスを経なくてはいけない。

さらにはファインダー越しに見る景色はレンズの構造の関係から左右が逆転しており、手持ちで撮る場合、約2キロにもなるカメラで理想の構図を手に入れるのは一苦労だ。

この時代の人たちが、写真を撮るためにこの一連の動作を当たり前のように行い、さらにはフィルムと現像ごとにお金を払わなくてはならなかった状況を考えると、ぼくらはなんと恵まれているのか。それとも、その一枚の喜びを知れないことが逆に不幸せなのか。

ブロニカS2を持ち歩くこと

ブロニカS2の重量は約2kg。
普段使いのSONY NEX-5Rが約300g足らずなことを思えば、約7倍にも相当する。

そんな個体を持って歩くのは結構な苦かとも思っていたが、もともと付いていたストラップで肩にかけている分には、思ったほど気にはならなかった。(おそらく普段から重い荷物を持ち歩いているせいだ)

故に最近はよくこのカメラを持ち歩くようにしているのだが、決してシャッターを切る回数は多くないのは最初に書いた通りだ。

被写体の選択基準はなく、ただふと、「今かな?」と思った時にファインダーを覗いてみる。
覗いて、シャッターを切る寸前まで行って、やめることもある。

こんなことをそれらしく書くと、まるでいっちょまえの芸術家のようだが、「あれ、やっぱ違うな。フィルムもったいないからやめとこう」くらいにしか考えていない。

実際にシャッターを切るまでのプロセスの間、祖父のことを考える。
あの人ならどんな構図を撮るのだろう?どんなことを考えるのだろう?どこにピントを合わせるだろう?そもそも、これを撮るのだろうか?

心の中で問いかけても祖父は返事をしてくれないし、シャッターを一緒に押したりもしてくれない。
そもそもぼくにはそういうスピリチュアルだとか霊的なセンスが一切ないし、見たこともない。

ただ、そうやって自分の思考の中に祖父のことを考える時間は、妙に落ち着く。

そして、直感で選んだ被写体に向けていろいろ考えた末にシャッターを切り、「ガシャン!」という大きな音が鳴った瞬間、なんとなく祖父のことを前よりも知れた気になるのである。

妙な話だ。

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さがやん
ブロガー/企画屋
仕事や遊びを効率化するガジェットやツールを愛して止まないブロガー。大阪でデザイン制作やスタジオ運営をする会社を経営しながら、田舎の古民家と行き来する二拠点生活を行っています。
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