一年間教会に通った経験が、その後のぼくの物事の考え方に大きく影響を与えてくれました。
今はNYに住んでいますが、実は高校生の頃に一年間、カナダのアルバータ州へと留学していたことがあります。
その時は一年間ホームステイで、お世話になったホストファミリーは両親+息子2娘1の5人家族。
そんな彼らは、食事のたびにお祈りをし、毎週末教会へと向かうクリスチャン(プロテスタント)でした。
当時、宗教のことなど何一つ知らなかった&考えたことがなかったぼくは、この一年間に数々の衝撃的な体験をすることになりました。
その体験を通して見たもの、感じたものを綴っていきます。長いです。
※この記事はクリスチャン及び他宗教を賛美あるいは批判するものではなく、また勧誘などの目的等も一切ございません。無宗教の第三者から見た視点での話であり、理解、認識不足の点も多くあると思いますがご了承ください。
ホームステイの経緯
※古い&小さな写真しかなかったので画質がひどいです。すみません。
一年間カナダに行くことになったきっかけは、高校時代の交換留学プログラムでした。
ぼくの通っていた高校はちょっと特殊な高校で、学科の一つに国際コースというものが存在し、その中でもぼくのいたクラスは高校三年間のうち一年間をカナダ留学で単位取得するというシステムでした。
そのカリキュラムを踏まえた上で受験してるのでクラスメイトはキワモノばかりで、中学時代モブキャラ認定を食らっていた自分は圧倒されることになるのですが、なにはともあれ高校一年生の1月から一年間、ぼくはカナダのアルバータ州、レスブリッジという小さな街でホームステイをすることになりました。
毎週日曜日は教会の日
英語があまりできない状態でのスタートでしたがホストファミリーは優しく、現地の学校もとてもウェルカムな雰囲気だったので、想像していたよりもずっと安心感もあり、正直ホームシックや孤独感に苛まれることはありませんでした。(後に来るんですけど)
みんな揃って食事するときは家族全員で手をつなぎお祈りをした時は驚いたものの、そういえば映画とかでこういうシーンみたことあるなぁ、くらいにしか捉えず、日本でいう「いただきます」みたいなものかと思って深く気にしませんでした。
そんな感じでなんとなく楽しくやれそうだな、と思っていた矢先。
それは、カナダに来て初めての日曜日。
時差ぼけもまだ治りきっていない状態だったし、いきなり学校とかで疲れていたこともあって、もうこの日は徹底的に寝ようなんて思っていたのですが、朝早くにホストマザーに起こされました。
「ススム起きて!教会に行く時間よ!」
・・・はい?
前日の夜の質素なご飯
話を前日の夜に戻します。
確か、ホストファミリー全員揃ってリビングでアイスホッケーか何かを観戦していました。
そろそろお腹がすいたなぁ、と思っていたのですが、いつもこの時間はご飯を用意しているホストマザーがソファで結構なリラックス具合を発揮しており、夕飯の支度をする気配が一切ありません。
他の家族もそれに突っ込むわけでもなく、淡々とテレビを眺めています。
一体これはどういうことだろう。あまりキョロキョロしすぎて悟られるのも恥ずかしいので、お腹がならないように必死に我慢していると、おもむろに立ち上がるホストファザー。
「そろそろご飯にしようか」
「そうね」
ホストマザーも答え、それについていく子供たち。とぼく。
キッチンで何かを作っているホストマザー&ファザー。
普段ならご飯が出来上がってからみんなを呼ぶのに何でだろう、と思っていたら、すぐにご飯の準備が出来たらしく、ホストマザーがスープの入ったお皿をぼくの前においてくれました。
何の変哲も無い、具らしい具も無い、というかインスタント感丸出しの、超質素なスープ。
いつもは結構ワイルドな料理がどーんと登場していたので、多分これは前座でメインディッシュが何かくるのかな、と思って待っていたら、全員分のスープを持ってきた時点で配膳は終了。例のごとく全員で手をつなぎ、お祈りをし、食事開始。
え、まじでこんだけ?
当時ぼくは育ち盛りの16歳。
吉野家に行ったら牛丼大盛りを二つ食べてなんとか満足出来るくらいの食欲。若さのピーク。
そんな健康な少年が、まさかスープ一杯で満足出来るわけはありません。
ましてやホストファミリーは全員、当時の超がつくほど細身のぼくの少なくとも2倍は脂肪をお持ちの方々。
この人たちこそこんなもので耐えられるはずありません。
ありませんが、どうしようもありません。
結局その日はそれでお腹の空いた状態で床につき、そして翌朝早く、ホストマザーに起こされる事になりました。
朝の礼拝
向かう先はそう、教会。
はっきりとは覚えてないのですが、確か礼拝は朝9時から開始だったと記憶しています。
眠気まなこをこすりながら、雪の積もる道を20分ほど走り続けます。
本当に何もない田舎町。
向かった教会は、さらにその隣町でした。
人生で初めて足を踏み入れる、教会。
田舎町の小さな教会でしたが、100人ほどの老若男女が詰めかけ、牧師さんの説教が始まるまでは皆であちこちで和気藹々と話していました。
中にはぼくと同年代くらいの若い子たちもたくさん来ていて、ホストシスターがぼくを皆に紹介してくれました。
皆は暖かく迎えてくれて、まだこちらでほとんど友達がいなかったぼくにとっても嬉しい時間。
そして始まる礼拝。
皆で礼拝堂に入って座り、牧師さんの説教を聞き始めます。
映画とかで見る、まさにあんな光景です。
しかし、牧師さんの説教には当然字幕なんかついているわけもなく、カナダに来て間もなかったぼくにとってはもはやただの呪文のようにしか聞こえませんでした。
それが約二時間。
当時まだうら若き16の、英語も「喋れない&聞けない」少年だったぼくにとってこの環境はなかなかの苦痛で、しかし、どうしようもありませんでした。
ふと隣を見たとき、18歳のホストシスターが説教を聞きながら涙を流していたのを見て、ぼくは一体何がどうなってるんだと感じたあの衝撃は今も忘れられません。
昼食
ようやく礼拝が終わり、何もしてないのにものすごく疲れたぼくは、ホストシスターに連れられて先ほどの同年代の青年の一人の車に乗せられました。
6人くらいの同年代らで向かった先は、さらに隣町のレストラン。
そこで初めてぼくはちゃんと皆に紹介され、皆から色々な質問をされたりしながら、拙い英語で一生懸命コミュニケーションを取りました。
ほんの一時間くらいでしたが、初めてちゃんとしたカナダ人の友達ができたような気がして、とても嬉しかったのを覚えています。
しばらくみんなで団欒して、楽しい時間だなぁ、と思っていたのもつかの間
その中の一人が「じゃあそろそろ行こうか」と言ってみんなで再び車に乗り、向かった先は
また教会でした。
夕方の礼拝
夕方の礼拝は午後四時から。
朝と同じく、二時間ほどの礼拝。
1日に、計四時間もの牧師さんの説教は、全く関係&興味ない(すいません)人間にとっては苦痛でしかありませんでした。
これが記念すべき1日目となり、ぼくはこの教会に結局この時から一年間通い続けることになったのですが、ぼくが説教中にあまりに辛そうにしてるのにホストファミリーが見かねて、二ヶ月目くらいからは礼拝堂の下で行なわれている子ども教室のスタッフとしてボランティアをさせてもらうことになりました。
これはこれで子どもたちの相手がとても大変だったけれど、説教を聞き続けるよりはずっと気が楽でした。
クリスチャンに囲まれた環境
実はこの時通っていた学校もクリスチャン系の学校で、ぼくのカナダ留学はそのままクリスチャン留学のような体験でもありました。
毎日どこかで聖書の一節を聞き、音楽の時間には聖歌を歌い、週末には教会へ通う。
そんな一年間の生活の中で様々なことを感じました。
安息日について
先のスープのみの食事についてはのちにわかったのですが、土曜は安息日と呼ばれる日で、ユダヤ教の世界では一切の労働を行わない日と定められています。
それに準じてキリスト教も近しい習慣を持っていますがそれほど厳格ではなく、
歴史的には安息日の休日が重視されたが、一部の教派を除きそれほど強い禁止はない。-引用元:wikipedia
とのこと。
で、ぼくのホストファミリーが属する教派では、まろやかにそれを実践していたよう。
これを知ってから、ぼくは土曜日は極力外で友人と食事をするようになりました(笑)
“教会仲間”という存在
毎週末教会に通う人達というのは、基本的には職業や年齢、住んでいるところもバラバラな人達です。
どういう経緯でその教会に通うようになったのかは人それぞれですが、その教会に通う人達は皆仲が良く、まるで家族のようでした。
特に若い世代は必然的に同年代で集まるのですが、ここでの仲間というのは学校の友達よりも強い結びつきがあるように感じられました。
というのも、わざわざ金曜の夜、学校も違う教会の友人同士が一人の家に集まってみんなで映画鑑賞会なんかをします。普通の10代後半なら学校の友達と遊ぶような時を、教会のメンバーで一緒に過ごす。これははたから見ていて面白いなぁと感じました。ぼくもよくその集まりに連れられ、みんなで映画を見に行ったりボーリングに行ったり、夏は夜まで明るいので、夕食後に外でキャッチボールをしたり。
いつも同じ教会のメンバー6~8人くらいでグループができており、そこで遊ぶのが、当たり前になっていました。
どうしても教会というキーワードや、礼拝に行かなくてはいけない億劫さから煩わしさを感じたりした時もありましたが、今思えばこの人間関係にぼくはとても救われていたなぁ、と感じます。
言葉にめちゃめちゃ気を使う。
クリスチャンに囲まれた生活の中で大変だったのが言葉。
これは宗派などによっても違うのでしょうが、言葉遣いにはとても気を使いました。
というのも、”Fxxk you”などのいわゆるFワードは絶対にNG。
日本人いも馴染みのある「オーマイゴッド(Oh my god)」という言葉も神(god)という言葉が入ってるのでアウト。
どうしても言いたい時は「Oh my gosh」などの表現に変えなくてはいけません。
また、当時お気に入りのNIRVANAのTシャツがあったのですが、そのTシャツ、背中に凄まじいスラングが書かれていて、今のぼくが見たらドン引きする内容だったのですが、それを当時学校に着て行って注意されたのも懐かしい思い出です。無知って怖い。
音楽にも気を使う。
音楽も、彼らにとってはいわゆるFワードやスラングが使われているもの、EXPLICITマークっていう「未成年者に不適切な内容が含まれている恐れがあること」を示すものが付いていたりするやつは基本的にアウトです。
これね⇩
だから、教会関係の人の前では聴く音楽などにも気を使いました。
逆に、学校でもこういう音楽が好きなやつとこっそりコミュニティなんかを作ってCDを貸し回ししたりしたのは良い思い出です。(コミュニティスペースでRage Against The Machine流してたら先生に怒られたのもいい思い出。)
また、ギターを弾けるっていうことで、教会のバンドにも時々参加させてもらっていたのですが、教会のステージで覚えたばかりのメタリカの曲のフレーズを練習していたら、注意されたこともありました。まぁ、そりゃそうか。
色々制限が厳しかったのは、当時ロック少年だったぼくにとってかなり窮屈な環境でしたが、今思えばとても面白い体験だったなぁと感じます。
子供たちとの交流
結構衝撃だったのが、先述した子ども教室のボランティアでの体験。
基本的には子どもたちとアクティビティを一緒にやって遊び相手になったり本を読み聞かせたりするのですが、一緒にビデオを見たりすることもありました
その内容が結構凄まじく、言うなれば「セサミストリート風人形劇で聖書の内容を教える」みたいなのもあったり、そういうのがある意味、言葉が悪いですが洗脳のようにも見えたのも事実です。
ただ、決して何も悪い事を教えているわけではなく、いわばぼくら非クリスチャンでも知っているような「隣人を愛せ」みていな教訓を、ポップにして子どもたちに教えるといった内容でした。
ビデオのことを始めとして、子供達から「神について」色んなことを聞かれたりなど、ここでの子どもらとの交流はびっくりするようなこともたくさんありましたが、逆にそのピュアな視線から色々なことを教えてもらえましたし、今一度宗教とはなんなのかを考える機会をもらいました。
また予期せぬ収穫として、この経験で英語力がかなり伸びました。
多分、簡単なボキャブラリーながらニュアンスではごまかせないコミュニケーションで基礎力が向上したんだと思います。
神はいた。
神=正義
ぼくがカナダにいたのは2004年。
これは、アメリカ大統領選挙の年であのジョージ・W・ブッシュが二期目をかけてジョン・ケリーと争っていた真っ只中でした。
このニュースは隣国カナダでも話題になっていたのですが、何かのおりにホスト・マザーに「もしアメリカにいたらどちらに投票する?」と尋ねたことがありました。
ホストマザーは、「ブッシュね」と即答。
ぼくが「どうして?」と聞くと彼女は「彼はクリスチャンだから」と答えました。
ぼくはこの瞬間声を失いました。
彼女にとって「神」は絶対。
そして、それを同じように信仰しているブッシュは正しい。
日本で宗教とはほぼ無縁と暮らしてきたぼくにとってこの感覚は本当に衝撃でした。
もちろん、この大統領選挙の結果は皆さんご存知の通りですが、ブッシュ当選の背景にはキリスト教という大きな力があったのは多くの人が知る事実です。
彼らにとってのクリスチャンの定義
さらに後でもっと驚いたのは、「ジョン・ケリーもクリスチャン」だったということ。
ただし、ジョン・ケリーはホスト・ファミリーの信仰するプロテスタントではなく、カトリックだったのです。
つまりホストマザーにとっての「クリスチャン(キリスト教信者)」というのは、自分と同じ「プロテスタント」のことのみを指してたということだったんですね。
余談ですが、この時ジョン・ケリーは同じカトリック教徒の票を逃したのが大きな敗因の一つと言われています。
ジョン・ケリー大統領候補がローマ・カトリック信徒でありながら、中絶容認派であったことは、ローマ・カトリックの票がブッシュに流れる原因となった。カトリックの高位聖職者たちはケリーに投票しないように呼びかけたのである[13]。こうしてブッシュ大統領は二期目の当選を果たした。- wikipedia
プロテスタントやカトリックの違いがわからない方はこちらがわかりやすいです▼
そもそも神ってなんだ
「神」という存在の定義は曖昧です。
キリスト教でもイスラム教でもヒンドゥー教でも神道でも神はいますが、各宗教ごとにその定義は少しずつ違います。
が、共通しているのは、人間一個人の限界を超える存在だということ。
普通の人間が絶対に普通の人間にはできないこと(奇跡)をもたらし、俗世の人間ではたどり着けない答えを知り、人々を導くことのできる存在・・・圧倒的カリスマであるということ。
これはどの宗教でも根本構造は同じですよね。(違ったらごめんなさい)
その圧倒的カリスマを信奉する人々たちのコミュニティが、実際に国の代表を選び、そして戦争の引き金を引いている事実。
これは、コミュニティが世界を動かしていることの証明であり、つまりコミュニティを形成するカリスマは「世界を動かせる力」を持った存在。
概念としての神(的な力)は存在する
神の実在に関してぼくは意見を持ちませんが、概念としての神は、ぼくは確かにいると感じました。
感じたというよりは、証明されたという方が近いかもしれません。
物心ついたばかりの子供たちに絶対的な信頼を持たれ
思春期の少女をその言葉だけで涙させ、独立した大人たちが週末を使って教会に訪ね、
血の繋がりのないながらも深い絆で結ばれたコミュニティを形成させ
国家の代表を選び、戦争を起こし、人の死を正当化できる
そんなことが出来る存在のことを、ぼくらは「神」と呼ぶのではないでしょうか。
その後のこと
誤解を恐れず言うのであれば神はいるとこの一年間の生活で感じました。
でもそれは、各宗教で言われるような絶対的な力をもつ存在、ということではなくて「神」と呼ぶしかないくらい巨大な力(というか流れ)の存在のこと。(わかりにくいな)
この後、ぼくがそこで「神」の存在に気付き、特定の宗教を信仰するようになったわけではありませんし、そういうお誘いがあった時は丁重にお断りさせて頂きました。ぼくにとって「神」というのは大きな流れ(力)の代名詞でしかないので。
今、もう一度海外へ出てニューヨークで暮らす中で、様々な人種と触れ合います。
その中の多くの人たちが、いろんな宗教コミュニティに属しています。
隣人はクリスチャンだし、こないだ乗ったタクシーの運転手はヒンドゥー教徒で、家の近くにはユダヤ教の教会があり、そのまた近くにはイスラームの人向けのレストランがあって。
これだけ密接に、様々な宗教文化が入り混じっている環境もニューヨークならではだと思うのですが、彼らにとっての「神」がどういう存在で、それぞれの宗教がどういうものなのかを知ることが出来れば、より深く彼らとも関われるはず。そういうことが出来る人が、宗教に興味を持たない人の多い日本にはまだまだ少ない。
今、訪日外国人に対するインバウンドビジネスに力を注ぐ日本では外国人の「文化の理解」の重要性が広く説かれていますが、こういう宗教的観点から彼らのことを理解することも、また一つの重要な課題ですよね。
まとめ
簡潔にまとめると
- クリスチャンとの一年間の生活はびっくりの連続だった
- 神(的な力)の存在に気づいた、見せつけられた
- 宗教の理解は世界の人と関わるのに大事だと思った
以上です。