ホワイトサンズに続き向かったのは、アリゾナの化石の森国立公園とキャニオン・デ・シェリー国定公園。
中西部に入ってから一気に荒野が目立つようになり、まるで地球という生命体の皮膚の上を走っているような感覚を覚えています。
景色のなかに土や岩、石などの比率が上がっていく中で、それらがそこで過ごしてきた時間と、自分が生きてきた時間をよく対比するようになりました。
ぼくはたった28年しか生きてきてないけれど、この大地は、この石は、この岩は、何マン年という時を経てここにある。それらの長い時間の中で、今ここに立ち寄ったぼくは、彼ら(?)にとってどう映っているんでしょうか。
アリゾナの朝
昨晩のシャワーの後は、いつも通り最寄りのレストエリアで就寝。
昨日までいたニューメキシコと、アメリカ全州の中でも銃の所持率ナンバー1であるアリゾナの州境での車中泊はやや緊張しましたが、特に何の問題もなくいつも通り朝を迎えました。
雲ひとつない空に胸を躍らせながら、行ってきます。
化石の森国立公園
この日最初に向かったのは、Petrified Forest National Park。日本語では、化石の森国立公園という名で呼ばれているそうです。
開園時間の8:00にやや遅れる形で到着したはずが、まさかの時差。
州をまたいで時差が発生したのは初めてではないですが、完全に盲点でした。まさかの7時半着でした。
車の掃除をしたり体操したりと、公園のゲート前で時間を潰すこと30分ほど。無事にゲートが開き、中へ入ります。
とりあえずビジターセンターにて地図をもらい、順番にビューポイントを訪ねます。
最初に迎えてくれた景色がこちら。
見渡す限りの荒野。わらっちゃいますね。はい、セルフタイマーです。
ネイティブの人たちが暮らした家を改装して、現在はホテルとして使われている建物。
ちなみにここで手続きすれば、公園内でホワイトサンズの時のようにバックカントリーキャンプが出来たのですが、さすがに車からまたテント類を持って徒歩で移動する気力はありませんでした。
ピクニックエリアを発見したので、朝昼兼用で食事。
相変わらずのインスタント食品をガスバーナーでいただきます。
この日食べたのはスパニッシュライスとかいうやつ。美味しくなかったです。
食後もひたすら絶景の中に身を置いて、思いついたら立ち止まって地球を見て、しばし考え事をしたりして。
感覚が麻痺するほど美しい景色が延々と続く中、窓を開けて空気をいっぱいに吸いながら走ります。本当に「呼吸」している感じ。
途中、公園とルート66がぶつかる地点に廃車のモニュメント(?)がありました。
このブログのタイトル、メトログリフの元にもなっている、岩に彫られた文字ペトログリフ。
ちょっと見づらいかもしれませんが、真ん中下あたりの岩に刻まれています。
3,000~4,000年ほど前に刻まれた文字を、今こうして見ていることに対し、まるでタイムスリップしてきたかのような不思議な感覚を覚えます。ネイティブの人たちは、一体何を記そうとしたのだろう。
ブルーメサと呼ばれる丘。
石灰岩で出来た岩山は、時代ごとの地層が丸見えで、その青のグラーデーションがそのまま長い長い時の流れを表しています。
まるで地球の歴史をインフォグラフィックで見てるみたい。
そして一番のお目当てがこれ。
化石の森と呼ばれる所以は、この珪化木(けいかぼく)。
元々は木なのですが、様々な気候や環境などによって長い時間を経て石になっています。
表面はクリスタルのように輝いており、肌触りも完全に石。
木が石に変わる。その事実だけでもひっくり返りそうですが、それに至るまでの長い時間に触れられたことに感動しすぎてその時点でインプットのキャパオーバー。
さらに奥には数カ所見所があったのですが、もうこれ以上は吸収出来ないと思い、ここで引き上げました。
キャニオン・デ・シェリー
化石の森を出たのがお昼頃。
ここからさらに向かったのは、キャニオン・デ・シェリー国定公園。
この周辺は、ナバホ・ネイションと呼ばれる、ネイティブ・アメリカン(インディアン)居住区になり、道中から一切電波が入らなくなりました。
Google MapのGPSだけを頼りになんとか現地に到着し、まずはエリア内にあったキャンプ場に。
コットンウッド・キャンプグラウンドという、キャニオン・デ・シェリーの敷地内(?)に入ってすぐのキャンプ場。
ファミリー向けのキャンプ場で、オープンな広いスペースで$14。トイレと水場はありで、シャワーはなし。
とりあえずテントを張り終わったのが16:30ごろだったのですが、そこからキャニオン・デ・シェリーのビジターセンターへ。
地図をもらうついでに回り方などを聞いてみると、北と南のルートがあり、午後は南、午前は北のルートが良いと教えてもらいました。
南のルート(サウスリム)はだいたい二時間くらいで回れるから、今の時間からであれば夕暮れまでには十分間に合うとのこと。
というわけで、車を走らせながら一個ずつビューポイントを回っていく事に。
一つ一つ紹介していてはキリがないのでダイジェストで紹介しますが、基本的には以下のような絶景がひたすらひろがっています。
各ビューポイントから、場所によってはトレッキングも可能で、ポイントをより詳細に見たい人などはしっかり装備を整えて歩いていく必要があります。
こちらはホワイトハウスと呼ばれる、ネイティブの住居跡。
かなりズームで撮っていますが、相当遠いです。
この住居跡周辺に行きたい場合は、有料のツアーに参加する必要があるそうです。(ビジターセンターで予約可能)
下の写真は、サウスリムの一番奥、スパイダーロックにて。
その雄大さに、ネイティブの方々の自然崇拝の理由の断片を感じます。
大地から生え出た、この自然とは思えない、しかし自然にしか創れないこのモニュメント。
ふと、スパイダーロックなりホワイトハウスなんてのは、後からやってきたヨーロッパの人たちがつけた名前でしかなくて、そこには多分もともと違う名前があって、だけど今ぼくがいるこの時代ではたまたまこう呼ばれているのだと、そんなことに気づきました。
このスパイダーロックは、少しずつ形を変えながらもずーっとここに立っていて、時代や周辺の文明が変わるたびに何度も違う名前で呼ばれてきたのでしょう。
その地点から、淡々と、僕ら人間やその他自然の営みを見守ってきた、という風に認識するのであれば、なるほどこれが、「神」のような、まさに崇拝の対象となることは当然に思えます。
ウン万年vsぼくの28年。
今はスパイダーロックと呼ばれているその「神」とも言えるような存在を前に、ぼくという個体はどういう意味を持つのか。
いつも通り火を起こし、おいしくもないインスタント食品を食べるのは、そんなちっぽけな、たかが28年そこらのぼくの命を明日へと繋げるため。
そもそも。
星とそこのイチ住民である人間を比較することがおかしな話なのですが、「ぼくの命」というものを拡大解釈していくと、この地球という物体の上にある一要素であり、ともすればぼくらの血液中のDNAがぼくらを生かし殺すように、ぼくら人間もこの地球の…なんてところまで考えてしまうのです。
そう考えると、ぼくらには役割があり、自身が何をすべきか、なんてことが自ずと見えてくるような…
そんなことを考えながら空を見上げると、地球と同列、あるいはそれよりも巨大な「星」たちが広がっていました。
oh…
ちっぽけすぎてやばい。ぼくの命とは一体なんぞや。
…
…
…
そんな感じで。