嬉しい、楽しい、大好き! じゃないですが、懐かしい、ってどういう感情なんでしょうか?
嬉しいとか楽しいなら非常にわかりやすい、ポジティブな感覚な気がしますが、懐かしいという感覚はいまいちカテゴライズしにくい気がします。
そしてその、懐かしいという感覚を、どうしてぼくはここまで追い求めてしまうのか。
そんなことを、22年前に暮らした街を歩きながら、考えていました。
カレッジステーションへ
サンアントニオから出たあとにぼくが目指したのは、そこから北東に三時間くらい走った先にある、カレッジステーションという街でした。
カレッジステーションは、テキサスA&M大学のキャンパスがある学生街。と言っても大阪の関大/近大前や東京・高田馬場の早稲田通りのような道一本に店が立ち並ぶような形ではなく、街がまるまる一つ、キャンパスを中心として街を構成しているような形。
ここは、父の仕事の関係で22年前にほんの3ヶ月だけ暮らした街。
短い間でしたが、ここで現地の小学校に通いアメリカ生活をしたことが、その後のぼくの人生に大きく影響したのは間違いありません。
別に来たところで知り合いがいるわけでもこれといってみるべきものがあるわけでもないのですが、ただ、懐かしさに誘われて、あるいはやはり、曖昧な記憶のピースを埋めたくて、どうしても来たかったのです。
ちなみに、余裕を持って街を回りたかったので再びAirbnbを利用することに。
テキサスA&M大学の学生が運営する、リビング貸し出しの物件を抑えました。
大雨の中を走る。
そんなわけでいつも通りレストエリアで目を覚ますと、豪雨。
せっかく思い出の地を目指すというのに、なんとも幸先が悪い。
と言ってもここで待っていても仕方ないので、天気の回復を祈りながら運転を始めます。
すっかり左ハンドル右車線にも慣れてきて、逆に日本に帰って普通に運転できるか少し心配になってきた今日この頃。
22年前に通った小学校
カレッジステーションに近づくにつれて徐々に回復していく天気。
Macbookの充電のために、カレッジステーションに入ってすぐのマクドナルドに入ったのですが、そこで作業しているうちに天気はすっかり良くなりました。
Airbnbホストとの約束の時間まで一時間程度あったので、事前に調べておいた昔通った小学校を訪ねることに。
小雨の中、Googleマップの表示を頼りに車を走らせます。
周りの風景は、どこか見覚えのあるようなないような。
そして辿り着いた小学校。
こんなんだったかな?確かここを歩いて最初に学校に来たんだっけ?
とか周りを見渡しながら色々考えつつ、せっかくなので中に入ってみることに。
母から送られてきた当時の写真に担任の先生の名前があったので、受付で聞いてみることにしました。
対応してくれた事務員のおばさんはとても良い人で、全く面識もない相手であるぼくの再訪をとても喜んでくれました。
ただ残念だったのは、校舎は2008年に建て変わってしまったことと、担任の先生は3年前に引退していました。
全く変わってしまった景色の中、もともと校舎があった場所(運動場を挟んで反対側)で記憶を辿ってみるも、やはり当時を懐かしめるものはなにもなし。
正直、思い出の校舎を歩いて昔の担任と感動の再会、くらいまで期待していたので、かなり拍子抜けでした。残念すぎる。
その後も妹が通っていた幼稚園を探してみるもおそらくもうなくなっていたりと、なかなか思い出に浸ることができません。
Airbnb先にて
とりあえず時間が来たので、Airbnb先へ。
この日のホストはテキサスA&Mの学生で、男女二人でルームシェアしている部屋のリビングを貸し出していました。
到着した時は女の子の方がが迎えてくれました。
部屋に入ってすぐのリビングに用意されたベッド。
エアマットに布団をかけただけのものですが、車の中で寝るよりはずっと良い。
キッチンも好きに使っていいとのこと。
今回は全くプライバシーがありませんが、足を伸ばして寝れるだけ全然OK。
あとは共用のトイレ&シャワーが二人の部屋に並んでありましたが、とても綺麗にしてありました。
22年前に暮らした家
一度部屋で荷物を置き、準備を整えた後、再び街へ。
目指したのは、22年前に暮らしたアパート。
事前に調べた情報が正しければ、ホテルになっているようでした。
直前から両親とテレビ電話を繋ぎ、「ここ覚えてる?あそこには何があった?」なんて話をしながら向かっていきます。
といっても家の周辺のことは二人ともあまりはっきりとは覚えておらず、「こんなんだっけ?」という感じ。
しかし家の外観はやはり見れば分かったようで、事前の情報通りホテルになっていたものの、基本的な構造は変わっていませんでした。
入り口の受付で、昔住んでたことを説明して中を軽く見学させてくれと頼むと、少し訝しげにされながらも許可してもらえました。
真ん中が吹き抜けになっているドーナツ型のアパートだったのですが、中庭はえらく高級感のあるガーデニングになっていました。昔は花がちょろっと咲いてたくらいだったような気がする。
さらに自分が住んでいた部屋は、ファーストレディスイートなんて名前に様変わりしていました。
当時、シロアリが大量発生して大変だったことを、ぼくも母もはっきりと覚えているのですが、さすがにもうシロアリは出ないでしょうね(笑)
この部屋の寝室で妹とはしゃぎ回ったこと、テレビでパワーレンジャーを食い入るように見ていたこと、阪神大震災のニュースを見たこと・・・いろんな思い出が蘇ります。
さすがに中には入れてもらえませんでしたが、記憶の中には鮮明に残っています。
懐かしさを追いかける理由
三日間に及ぶ、テキサスにて思い出を追いかける旅はこれにて終了。
22年という時を経て帰った街で、一体ぼくは何を得ることができたのか。
正直、全くわかりません。ただ「もう一度見たい」という思いだけを頼りにここまで来て、実際に懐かしさを感じることも出来たわけですが、だからなんだったんだ、というところもあります。
数百マイルをかけてこれらの思い出をたどる価値はあったのだろうか?それをすることに一体何の意味があったのだろうか?
直感によって突き動かされた結果とその価値は、今すぐにはまだ実感することが出来ていません。しかし、ここまで来て、自分の幼い頃の姿を追いかけた意味は、きっとあるはず。ていうかないと困る。
しかし、人はなぜ「懐かしみたがる」のでしょうか?
どうして、思い出の地を辿りたくなるのでしょうか?
きっとこの旅を終えた後もまた、ぼくはこの旅で訪ねたあちこちを懐かしむことになるんでしょう。
そしたらまた、辿りたくなってしまう。また旅をしなくてはいけない。
「人生は旅」なんてよく言ったもんですね。
ここから先は、中部、南西部で全くの未体験ゾーンに突入していくことになります。
楽しみもありつつ、多少の不安も感じつつ。
そんな感じで。