少なくともぼく的には、決して目立った観光スポットがあるわけでも、魅力的な絶景があるわけでもありません。
それでもぼくがサンアントニオに行きたかったのは、22年前のその日のその出来事を、あまりに強烈に覚えていたから。
街角にいた似顔絵描きのおじいさんに、カウボーイハットをかぶった姿にアレンジしてもらった似顔絵を描いてもらったことを、今もはっきりと覚えています。(その似顔絵は、今も実家のどこかにあるはず。)
たったそれだけの記憶の断片。
だけど、この街に来る理由には十分でした。
サンアントニオで、思い出の跡を探しました。
サンアントニオへ
先日からの疲れが一気に出たのか、かなりぐっすり寝てしまい、起きたのはお昼前。
チェックアウトが12時だったので、慌てて用意して、ホストに挨拶をし、目指すはサンアントニオへ。
相変わらずのコンクリートの高速の景色を通りながら、ひたすら西へと向かいます。
特になんの問題もなく、3時間ほどのドライブの後、無事サンアントニオへ。
印象に残っている部分以外の景色は全くと言っていいほど記憶になく、到着して街に入った時も、全くピンと来ませんでした。
街の中心(?)にそびえ立つモニュメント。こんなの昔あったっけ。
ダウンタウンの景色も全然ピンと来ません(笑)
ぐるっと街を回ってみて、二時間の縛りではありましたが路上のコインパーキングが一番安かったので、そちらに駐車して街を歩きます。
アラモ砦
サンアントニオのメインの観光地といえば、このアラモ砦(伝道所)。
正式名称はサンアントニオ・デ・バレロ伝道所(Mission San Antonio de Valero)。現在は博物館になっている[1]。もともと聖域と周辺の建造物を包含していたこの複合施設は、地元のインディアンをキリスト教へ改宗させる教育のために、18世紀にスペイン帝国によって建設された[2]。伝道所としての機能が放棄された後の19世紀には、軍事要塞として使用され、特にテキサス革命中のテキサス共和国とメキシコ軍の間の極めて重要な戦闘のひとつであった1836年のアラモ砦の戦いなどの、いくつかの軍事行動の舞台となった。-引用元:wikipedia
この場所に来たことは、覚えていました。
といっても、中の様子や展示内容まで覚えていたわけではないのですが、ここでもまた、父にあれこれと教えて貰ったような記憶があります。
入場は無料で、改めて中に入ると伝道所時代および砦(要塞)時代のものや、関連する絵画などが展示されており、テキサスという土地の変遷を感じることができます。
この砦の前はもっと広々としていて、坂を下ったようなところで例のおじいさんに絵を描いてもらったような気がしていたのですが、景色は随分と記憶と違いました。
とりあえず、記憶を辿るために歩いてみました。
が、砦前以外はやっぱり全く記憶になし。それくらい、砦とおじいさんのインパクトが強烈だったのでしょうか。
街のメイン観光エリアの一つである、リバーウォーク。
レストランが立ち並び、休暇でやってきた観光客で溢れています。ここはなんとなく覚えてるようなないような。
さらに歩くと、教会を発見。
サンフェルナンド大聖堂
こちらはサンアントニオにおける観光地の一つである、サンフェルナンド大聖堂でした。
中は、教会ならではのひっそりとした空気。外は湿気混じりのむしっとした空気でしたが、中は心地よい涼しさでした。
ぼくはキリスト教徒ではないですが、教会に来るのは好きです。(関連リンク:ベルリン大聖堂は、人生で一度は絶対に見ておかなければならない。[ヨーロッパ旅2014夏]/カナダでクリスチャンの家に一年間ホームステイをした話)
同じキリスト教でも宗派などによって、そこにおけるキリストなどの偶像の扱い方の差や、装飾の度合い、また建築様式などが全然違うのが、とても面白い。
また、あのどこかひんやりとして静寂な空気は、心が落ち着くというか、しばらく身を任せたくなります。
今後もまた機会があれば訪ねた街で教会に行ってみようかな。
思い出探し
残り時間は一時間。
他にきになるスポットもなかったので、母から送ってもらった昔の写真を頼りに、あわよくばあのおじいさんにもう一度会えないかと街を散策し始めました。
もちろん、20年以上も前の話ですし、その当時すでにおじいさんだったことを考えれば、例えご存命であってももう引退されてるでしょうが、そこは少しドラマチックな展開に期待しました。
ちなみに、これとは別で母と妹のポートレートを撮った写真も送られてきたのですが、その場所は、街を歩く黄色いシャツを着た観光案内スタッフのおじいさんに一発で見つけてもらうことができました。
ただ、この似顔絵の場所はどうしてもわからず。
同じような景色があまりに多く、特定することはできませんでした。
あの観光案内のおじさんに、母と妹の写真のことしか聞かなかったことを後悔。(そのあとまた探したんだけど見つからなかった)
でも、きっとこの街もまた、家族と一緒に来たら、あそこでは〜があって〜とかここは〜じゃない?とか色々いい合えて、楽しいだろうな。
下見のような旅
思えば、今まで訪ねた街はどこも、「また来なければ」と思って離れたところばかり。
というか、「また来るからいいか」と今回は見送った場所、料理、イベントが山ほどあります。
確かに今は、一人で、車があって、お金も泊まる場所はなくて、と色々制限のある旅。
ぼくはもしかしたらこの旅を通して「いつかまた来るアメリカ」のための下見をしているのかもしれません。
いつかまた、親や妹と、あるいはまだ見ぬとても美人で料理がうまくて気立てが良い奥さんや可愛い娘/息子と一緒に来る日のために。
頑張ろう。(何かを)
そんな感じで。