アメリカ横断、放浪の旅を体験した人々の話をこれまでも多く聞きましたし、それに関する書籍も何冊か目を通しましたが、どこでも触れられることのなかった、そしてやってみて初めて気づいた、ある事実があります。
それが、路上に転がる動物の死骸について。
一度アメリカのフリーウェイを走った人たちなら良く知る光景ではないでしょうか?
路上に、あるいは道の端に転がる、シカや、ウサギや、リスや、その他動物達の無残な死骸達。
彼らはぼくらの通り道である道路を横断しようとして、不幸にも、車に跳ねられた動物達です。
記憶を辿って
以前にも書きましたが、この旅は自分の過去の思い出を辿る旅でもあります。
6歳の頃、父の仕事の関係でほんの三ヶ月だけテキサスのカレッジステーションという街で暮らしたのですが、その時、10日ほどかけてアメリカの一部を、家族と車で旅をしました。
その中で訪ねた街のうちの一つが、インディアナ州、インディアナポリス。
その場所の記憶は一切ありませんでしたが、母から送られてきた写真を頼りに、街を散策しました。
ニューヨークや、昨日訪ねたシンシナティに比べればずっと小さな街。
これといって目立った観光地もなく、メインにあるのはこの街の真ん中にある記念塔くらい。
ここで、妹とのツーショットが残っていました。
父は所用で一緒にいなかったらしく、母に連れられて妹と三人で街を観光したそうです。
LINEでリアルタイムで母と連絡を取りながら、写真を送り合い、ここは見覚えある?あそこは?などとやり取りをしながら街を歩きました。
便利な時代になったものですが、ぼくが全く覚えていない&母の記憶も曖昧なことがあって、ほとんど「ここだ!」という場所は見つけられませんでしたが。
やたらとアクティブなホームレス達を避けながら、街の中心部を一通り歩き、再び車へと乗り込みます。
ここへはいつか、母と妹も一緒に来たいな。
道を渡ろうとした命たち
インディアナポリスからシカゴへと向かう道。
樹木を、あるいは大地を切り裂くように敷かれたコンクリートの道を、延々と走ります。
途中、マクドナルドやガソリンスタンドで自分や車のエネルギーを補充したりしつつも、基本的には走りっぱなし。
広大な大地と自然の中、ひたすら前を向いて走りながら、視界の端には何度も、道の端に倒れた「死」が映ります。
基本的には小型の小さな動物ばかりだけれど、たまにそこそこなサイズの鹿なんかもいたりして、死後硬直で足がピンとした状態のまま固まっていたり。
あまりにも何度も目にするものだから、彼らが一体どうしてこうなってしまったのだろうかと、運転しながらずっと考えていました。
恐らく、彼らが生まれた時にはもうこの道はあった。
昔からこの周辺に住んでいたのか、たまたまここへ迷い込んできたのか。
いずれにしても、車が行き交うこのコンクリートの道の向こうに、彼らを惹きつける何かがあったのでしょう。
だから、危険を賭して彼らはここを渡ろうとした。(危険と判断していたのかは定かではありませんが)
思い出したのは進撃の巨人。
壁に囲まれた世界。主人公を始めとするキャラクター達は、壁の向こうに何があるのかを知りたがり、その壁を越えようとする。
しかし、壁の向こうへと出て生きていられるのはほんの一部。
中にはこのコンクリートの道を超えた個体もいたでしょう。
しかし、超えることが出来なかった、鉄の塊に跳ね飛ばされ、あるいは踏み潰されたものたちは、あまりにも多い。
彼らの世界を奪った
ぼくら人間は、彼ら動物よりも少し賢かった。
賢かったから、道を作り、領地を広げ、利便性を求めて道を敷き、世界を広げていった。
それは同時に、ここに本来いたものたちの住処を分断し、奪うことでもあった。
もともとは道などない、限りなく広がる大地が彼らの世界だったのに、その世界をぼくたちがぶった切り、彼らをコンクリートの道で囲み、閉じ込めた。
おかげでぼくらは街を作り、住まいを得、生活を手にした。
ぼくがこうしてアメリカを自由に旅することができているのも、そのおかげだ。
シカゴにて
たどり着いた街は巨大でした。
その規模は、ニューヨークのマンハッタンなんて比較にならないくらい。というか、改めてニューヨークの小ささすら感じるほどに。
膨大な車と建物の数。
これらが一箇所に集まるために、一体先人は何本の木を切り倒し、何匹の命を奪ったのだろう。
ぼくらは、多くの犠牲の上に立って、歩き、暮らしている。
今更その事実を変えることは出来ないし、すべてをゼロに戻すことなんて出来ない。
ただ、ぼくらが今生きているというのはそういうことなのだと、改めて、認識する。
そういうことを、今まで、ずっと見えないフリをして生きてきたのだと、改めて、気づく。
そして多くの人が未だ、それを見えないフリをしているという、事実。
見なくていいのだろうか?向き合わなくていいのだろうか?
今自分たちが置かれているこの環境を、当たり前のこの状況を享受し続けることが、正しい「生き方」なのだろうか?
考えることが尽きることのない旅。
この日の模様を動画でも
そんな感じで。