一人キャンプ。
テントを張るのも、キャンプファイヤーを起こすのも、ご飯を作るのも、寝るのも、すべて一人。
下手したら電波も届かず、電気も使えず、THE 孤独。
そんな状況に、一体どうしてこれほどまでに惹かれるのか。
多分、家があって、いつでも料理ができて、ルームメイトがいて、Wi-Fiが飛んでいて、交通機関とビルに囲まれた環境にずっと居たから。その中で、自分を見失いかけていたから。
ぼくはそこから出たかった。出て、もう一度自分自身と向き合いたかった。
だから一人でテントを張り、火を焚き、自然の音と匂いに包まれ、人も、電波も、誰かの声も届かない圧倒的自然の中で、ゼロになりたかったんだ。
だから神様…
そろそろぼくにキャンプさせてよ!!!!!!!!!!(泣)
ペンシルバニア州立大学へ
マクドナルドの駐車場で目を覚ますと、外はうっすらと雨模様。
天気予報を見ると昼過ぎまでは雨とのことだったので、そのままマクドへ入り、身支度を整えてから少し作業をすることに。
動画の編集やブログを書いたりしているうちにあっという間に時間は過ぎ、気がつけば雨足も弱まっていたので、この日の目的地に向かいました。
この日ぼくが目指したのは、ペンシルバニア州立大学、通称・ペンステイト(Penn State)。
ここに来たかった理由は、父の卒業した大学だったから。
田舎の広大な敷地で学んだ父にとってのアメリカと、都会で2ブロックに満たない小さなキャンパスで過ごしたぼくにとってのアメリカ。
チラッと見ただけで互いのそのギャップが埋まるわけではないけれど、なんとなく、本当になんとなく、あの人が学んだ景色を見てみたかった。
マクドから10分ほど車を走らせた先に、そのキャンパスはありました。
最初に飛び込んできた巨大なスタジアムに圧倒されながら、コインパーキングに駐車して散策開始。
卒業シーズンでもう学生は殆どいない中、父が暮らしたという寮を目指し歩きます。
駐車した場所が悪かったのか、寮までは片道20分。
成人男性が20分歩いても途切れない敷地の巨大さに、驚くばかり。
充実した施設群と、風情あるキャンパス内の建築に、インターネットもない時代、こんなところでのびのびと(かどうかは知らないけれど)学んでいた父を恨めしく思いました。
父の住んでいた寮の前から彼にLINEで写真を送ると、「当時と何も変わっていない」とすぐに返事が。
多分写真を通して、父にはこの場所に、いろんな景色を見ているんだろうな。
学生がいないのでもう中に入ることは出来なかったけど、少しそこに座って色々と想像していました。
父親の若い頃なんて、全然ピンときませんでしたが。
ただ、父がどうしてあの当時の話を生き生きと話すのか、今でもこの場所を訪ねたがるのか。
それはなんとなく、わかった気がします。
そんなこんな適当にフラフラ歩いてキャンパス内のウサギを追いかけたりしてるうちに、結局二時間くらい経っていました。
また父と一緒に来よう。
そう決めて、その場を離れることに。
キャンプ場へ
次に目指していたのは、フランク・ロイド・ライトの名建築、落水荘。
その日はもう閉館時間に間に合わないので、できるだけ近くまで行くことに。
広大なペンシルバニアの地をひたすらに走ります。
ずっと冴えない曇り空のせいでイマイチモチベーションがあがらないまま、なんとか近隣の町に到着。偶然見つけたキャンプ場で話を聞くと、$20とのこと。
施設も良さげだったし、これ以上あてもなく走るのも抵抗があったのでそのままそこへ滞在することに。
受付で指定された場所へ行くと、見えたキャンプファイヤーの設備。
いい感じだな〜なんて思ってたら
何故かテーブルの上に魚の死体が。
あまりにも予想外の展開に、まるでマンガみたいに後ろへと飛び跳ねる自分。
よく見れば、岩陰にも、地面にも、合計八匹くらいの死骸が放置されていました。
幸運にも(?)隣のスペースも空いていたので、(勝手ながら)そちらへ移動することに。
一体何があったんだろう・・・
もう疲れていたので、
謎過ぎる展開に頭をかきつつ、取り敢えずキャンプファイヤーでもやろうかなんて木を集めてたら…
まさかの雨
それもものすごい勢いで降ってきました。
前回のキャンプにてガス缶の過ちがあったので、今回は正しいガスを用意して、意気揚々とご飯作る気満々だったのに。
(正直魚の死体のせいで食欲削がれてましたが)
結局、バックドアを開けて屋根代わりにし、半ば無理やりラーメンを食べて一応雰囲気出そうとするも、一向に止まない雨に全く美味しくないラーメンがなんとも言えない哀愁を漂わせるだけでした。
雨が止む気配もなくテントも張らず、電源を拾うのも困難でPCも充電できずな結局この日はもう色々と諦めて車の中で引きこもることに。
辛うじて電波が入ったのが救い。これで電波もなかったら、やること本当になくて死んでた。
キャンプするときは、空模様をもう少し考えようと誓った28歳の春でした。
この日の模様を動画でも
そんな感じで。