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大都会から田舎へ。兵庫県の佐用町(岡山/鳥取県境)へと拠点を移しました。

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Moving to sayo cho2

ニューヨークでの5年間の生活、42日間に及ぶアメリカ横断から帰ってから約1ヶ月。

便利すぎてぬるすぎる大阪での日々を終えて、兵庫県の奥深くへと生活の拠点を移すことになりました。

佐用町という、小さな緑豊かな町に、これからしばらくお世話になります。

ここに至るまでの経緯、そして決意とこれからの展望について、珍しく恥ずかしげもなく書いていきたいと思います。

長くなりますが、ご興味を持っていただければ、ぜひお読みください。

目次

これまでのこと

日本への思い

Piartcenter  1 of 7

2011年、23歳。
一人NYに渡り、二十歳を超えてから初めて日本を外から見た時に、ぼくは自国の現状が、決して楽観視できるようなものではないことを痛感しました。

ぼくが渡米したのは、奇しくもあの震災の直後。

経済的にも環境的にも窮地に立たされていた日本でしたが、あの時の日本は外から見て、まるでオオカミに囲まれた手負いの鹿のようでした。

弱ったところを中韓に狙われ、欧米からもプレッシャーをかけられ、しかしそこに住む住人たちは自分の傷の具合を見るのに必死で周囲の脅威に気付いていない。

政治や国際関係などに疎かったぼくですら、あの状況を見て普通に「自国がヤバい」ということがわかりました。

それと同時に、そこから復興しつつシステムを取り戻し(一部見えないフリをしたという事実があるものの)崩壊しかけた状況から立ち戻った祖国の力に感動しましたし、誇りにも思いました。

そして2013年の「東京オリンピック開催決定

これには未だ賛否ありますが、ぼく自身はこれを、一度がっぷちにに陥った日本が手にした大きなチャンスだと感じ、なんとかしてここに関わりたいと考えるようになりました。

自分のすべきこと

2020年に至るまでにぼくに一体何ができるのか?

それが当時のぼくのテーマになり、一つの活動指標になりました。

それに基づいて定期的な情報収集を始め、さらには一時帰国時に目を凝らすことで、日本の現状をできるだけ客観的に捉えるよう努めました。その中では様々な気づきがありました。

今後の日本には翻訳・通訳システムの充実、より詳細かつ広域な情報の発信、日本人の意識そのものの転換などの多すぎる課題があること。
これからの日本の発展のためには人とコンクリートで覆い尽くされた都市部ではなく地方資源の活用が何より重要だということ。

今でこそ当たり前のように言われていますが、当時の日本人の若者の中では、こういった事実に比較的早い段階で気付いていた方だったと思います。

まだインバウンドという言葉が一般的でなかった頃から既にそういうものが必要になってくると考えて様々な構想を練り、2014年には国内飲食店に対するメニュー翻訳などのサービスを現地の友人と立ち上げる準備を始めました。(結局これは企画倒れになったのですが)

それを発展させるような形で、2015年には別の友人とともに法人を立ち上げ、外国人向けに宿泊施設や飲食店向けの翻訳およびWeb集客支援事業を試験的に開始。同時に日本人向けに留学斡旋事業もスタートさせるなど、日本の国際化というテーマで活動してきました。結局これらは経験やビジネス、視点・知識不足で軌道に乗せることは出来ませんでしたが。(現在は留学支援の部分のみを縮小運営する形で会社自体は存続しています。ほぼペーパーカンパニー。)

同時進行で観光客向けにアパートをレンタル(サブレット)する民泊も個人で実験的に行っていたのですが、こちらは日々の生活費の捻出するのが主目的ではあったものの、日本で注目を浴び始めていた民泊を実践することでリサーチをしたかったという側面もありました。

空振りもしつつですが一応日本にとってプラスになるをテーマに、ぼくなりに試行錯誤しながら活動してきました。

どう生きるのか

2015年春。

学生時代の友人がおよそ七年ぶりに連絡をしてきました。

高校卒業以来ずっと海外にいて音沙汰のなかった彼は、いつの間にやら帰国し、日本で不動産(資産運用)の会社で働いていました。彼は現在、主に「空き家の運用」から派生した「エリア(地域)マネジメント」などに携わっているということを教えてくれました。

彼がぼくに提案したのは「今携わっている地域で”外国人”や”ウェブ”などをキーワードとした発信ができないだろうか。お前のブログを読んだ。あんなことやこんなことができるのではないか?興味はないか?」というものでした。

当時はまだ、アメリカで作った会社をどのように動かすかで試行錯誤していた時期。ですが、その事業の一環としてアメリカにいながらウェブを利用した地域支援が可能かもしれないと、その道を模索しながら実験的に協力することになりました。時を同じくしてブログや民泊の運用も上手く行き始め、今自分にできることに集中するため、通っていた大学から離れる決意もしました。

夏の一時帰国の際には、彼から初めて佐用についての話を聞き、この町でのプロジェクトについて聞かされました。この町をモデルケースとしたこれからの事業の展望は、決して目立つようなものではないけれど、日本の未来にとってとても重要なものに思えました。

それからは互いに様々なアイデアを出し合いどう動くかを考え、未完成ながらも方向性を定め、約半年間、自分たちの将来的なビジネスモデルを構築するためにとにかく動き始めました。

その間、様々な出会いがありました。

中でも日本のとあるIT企業の社長さんには随分と可愛がってもらい、貴重なお時間を割いていもらいながら様々なご指導をして頂いたことは大きな経験になりました。その中で「ビジネス」という考え方、お金の得方や使い方、仕事とはなんなのかを徹底的に考える機会に恵まれました。

この年始に出会った日本の観光業界でご活躍されるある方にも、今後の生き方、ビジネスの方向性に対して優しいながらも厳しいご指導をいただけました。

「どう生きるのか?」

ライフラインとしてのブログや民泊、フリーでのデザインの仕事などを継続させながら日々の生活費を確保し、空いた時間でとにかく事業の構想を練り続ける日々。しかし、目の前にあるのはニューヨークの街。変哲のない日常。

雲を掴むような感覚の中、一体何のために、誰のために動いているのか、実感のない日々でした。

地方移住というアイデア

Moving to sayo cho1

話が前後しますが、年末帰国を前に、例の友人から「佐用に住む気はないか?」という話をされました。

プロジェクトに関わる中で、地域との人間関係が生まれ、家を格安で提供してもらえるとのこと。そこでまた別のプロジェクトが新しく動くかもしれないということ。
しかし、彼や会社の拠点が今の所大阪にあり、そう簡単に離れられないこともあって、現地で動いてくれる人間が必要になっているということ。
ぼくを社員もしくは契約or業務提携という形でプロジェクトメンバーとして参加させたいという意思があるということ。

ニューヨークでの実感のない日々にモヤモヤしていたこと、「現場」の重要性に薄々と気づいていたことが、ぼくに「行く」と即答させました。

決意させたもの

この答えを出した時、「理想の田舎暮らし」なんて思いは微塵にもありませんでした。
不便さ、不都合さは承知の上。地方移住は成功例よりも失敗例を多く見聞きしてきました。

「田舎暮らしは大変だよ?」そんなことは百も承知です。
徒歩圏内に電車の駅とスーパーとコンビニがあることの利便性は言うまでもありません。

ずっと都会のぬるま湯で育ってきたぼくにとって、どう考えたって暮らしが大変になるのは目に見えてます。
それでも行くと決めたのは、もちろん仕事があったからというのもあります。

ただ、これと同時に大阪でも別プロジェクトの参加が決まり、二週間に一回は大阪への出張(帰省?)が可能になりました。これによって定期的に地方と都市を行き来できる環境を得たこと。(大阪までは高速の利用で約二時間です。)
また、先のアメリカ横断のおかげで車主体のまともな食のない生活に慣れ、寝床とお米があればそれだけで幸せだと感じられる価値観を持てたことも大きかったと思います。(ある意味それを得るためにアメリカ横断をしたような節もあります)
さらに、(特に何をしたわけでもないのですが)ブログ/運営サイトの収益も順調に向上しており、こちらでそこそこの収益が出ている分、採算度外視の行動が取れる部分も大きいです。(そういう意味もあって、ウェブにおける収益拡大には時間の許す限り今後も力を入れたいと思っています。そこでの余裕が大きくなるほど、生活及び他の活動への余裕が出るので。)

何より、今ここでぼくが役立てる、ぼくだからできる、ぼくにしかできないことがありました。
それは、端から見ればくだらないものかもしれないけど、ぼくの人生にとって大きな意味です。

これが「頭が悪くて社会性のない、だけどなんとか場所を選ばずに多少のお金を稼げるようになったぼく」に与えられたいまできること、すべきことだと信じています。実際に必要とされ、こうしてお仕事を頂けているという事実だけで、ずっと何もなかったぼくにとっては何よりの価値です。そんな自分を、どこまで出来るのか試してみたい。

先輩方からのご指導、アドバイス通りには、結局何も出来ませんでした。
お金の集め方も継続性のあるビジネスモデルの構築も、これから大きなことをするために必要な資格や経験の取得も何も。
頂いたお言葉の意味や重要性は痛いほどわかったつもりですし、それらは大きな学びになり、全く違う世界を知り考えるきっかけにもなりました。ですが、どれだけ考えてもぼく自身がそういう風に生きることを納得できませんでした。

どれだけ冷静に考えても、「現場」と「経験」がなければ机上の空論にしかならないし、その「現場」と「経験」はぼく自身が知る必要がありました。ぼく自身の納得のために。

だからぼくはここで今できることをやってみます。やって、理解して、その上で、次へと繋げていきます。人より何倍も時間がかかっても、自分の行動に価値はついてくると信じているから。

これからのこと

現在の状況

というわけで今具体的にどういう状況かなのですが、肩書き上は相変わらず個人事業主のままです。

ただし契約社員という形で先の会社に所属はしており、その中のエリアマネジメント事業のメンバー(アートディレクター)となっています。会社からは固定の給与を頂いているわけではなく、プロジェクト単位の報酬を頂いています。

この状況はプロジェクトの規模や会社の置かれている状況によって今後、変わるかもしれませんが、既に社長の了解済みで(というかむしろ社長のアイデアで)今後このエリアマネジメント部門を独立起業させるつもりで動かせてもらっています。

いい意味でぶっ飛んでる社長からは「社員になる?どうする?」くらいのノリで聞かれたのですが、色々相談した結果、この状態が一番いいのでは、ということで収まりました。どんな会社だよ。大好き。

携わるプロジェクト

まだ発表前なのでここでは具体的な内容は控えますが、会社から派遣されて佐用町及び周辺地域で開催されるイベント実行委員会のメンバーとして佐用町に在住しています。イベントの企画からPRなどに関わる部分まで、全般的に携わっています。
また、大阪府からの委託事業でキタ歓楽街(梅田・JR大阪駅周辺)の活性化プロジェクトにも参加させて頂いています。こちらでは外国人を対象としたメディア運用のプロデューサー的な形で携わっています。他にもいくつか既にプロジェクトのお話があり、ありがたいことに当面は「仕事がある」という状況です。(ただしそないにお金は稼げていない)

詳細についてはおいおいご紹介していきたいと思います。

少し前まではボロボロの姿でアメリカをふらふらしていた人間が、いつの間にやら役場の方や自治会の方とお仕事をしていたりするのだから人生わからないものです。が、不思議と「自分の中での目的がはっきりしている」おかげで、あんなに億劫に感じていたビジネスマナーに関する行動も苦ではなくなりました。目的達成のツールだと割り切ってしまえば、名刺交換くらいはむしろ気持ち良くできるようになりました。(まだまだわからないことだらけですが)

ぼくが住んでいる佐用の家は、いわば会社の事業所みたいな扱いになるのですが、今後はここを少しずつ改修しつつ、年内(早ければ晩夏)には民泊施設を併用したコミュニティスペース(簡易カフェ)としてオープンする予定です。
夏はヒマワリ、冬はスキー、年中綺麗な星空と空気という資源に囲まれたこの場所で、外国人と地元のおばあちゃんが入り混じる空間を作るのが目標です。ここに関してはマネタイズ面も含めて他にも色々と構想はあるのですが、とりあえずは人が自由に出入り出来る、あんまりおしゃれじゃない(ここ重要)空間を作りたいと思っています。

で、一番大事なのが、最低限の運営システムが出来上がったら(あるいは先が見えたら)それを出来れば地元の若いひとに引き継いでもらいたいということ。そしてぼくはまた、同じように求められている場所へと行く。

先にも説明した通り、ぼくはあくまで「きっかけ」になりたいだけなんです。
ニューヨークで空間デザインを学び、ウェブで多少のお金が稼げるようになり、コミュニケーションが好きで、多少の不便さならむしろ喜んで飛び込んでいけるという自分の特性を活かして、ぼくなりに地域に、日本に、あるいは環境に還元していきたい。それがぼくにとって一番気持ちのいいことであり、一番相性のいい生き方だと気付いたから。

ビジネス目線で見れば、非常に効率の悪いやり方です。でもぼくは他にやり方を知らないし、今はこれがベストだと思っています。

できるだけ早くに理想の生活を作り上げたいとは思っていません。ぼく個人の楽しみとしてもそれほど高度なものを求めていません。
それよりも今は、自分が何に使えるのか、何ができるのかということが重要です。(これがある意味自身の充実にも繋がります。)

目標は、胸に留めて淡々と達成する方がカッコイイのかもしれません。
だけど、今のぼくにカッコつける余裕はありません。

出来れば多くのひとに応援して欲しいし、多くのひとに助けて欲しい。
そして、一緒に「空間」を作り上げていきたいと思っています。

お願い

というわけで、いくつかお願いがあります。
ご協力いただける方はTwitterかFacebook、もしくはcontact@sagadylan.comまでご連絡下さい。

ボランディア募集してます

現状、家がほぼ廃墟の状態からスタートしているのでボロボロです。

壁に穴とか空きまくってます。
床もきしみまくってます。
虫も入ってきます。
めっちゃ暑いです。

Moving to sayo cho4

もちろんこれらはすべて対策するつもりです。
そのために色々と直したり掃除したりしなくちゃいけないので、仕事をこなしながら、毎日コツコツと、できることからやってます。
友達もちょくちょく手伝いに来てくれるみたいです。

ただ、出来るだけ早く形を整えるために、ボランティアさん募集してます。

交通費もバイト代も出せませんが、一応布団など生活に最低限必要なものはあります。
ご飯代も多くは出せませんが、良かったら一緒に作りましょう。
夜は温泉に行ってからビール飲みながら語らいましょう。

DIY初心者大歓迎です。経験者超歓迎です。
就活終わってやることなくなった暇な大学生とかちょうど良くないですか。
ちょろっと地方の生活の雰囲気体験してみたい人、いい機会かもですよ。
近隣の駅までなら迎えに行けます。

物品の提供募集してます

心地よい空間づくりのため、以下の物品を募集しております。
ぼくが欲しいものではなくこの家での共有物です。
Amazonの欲しいものリストでも良かったのですが、新品は不要なのでこのようにさせて頂きました。

  • 照明類(種類問わず)
  • 液晶テレビ
  • オーブントースター
  • 炊飯器
  • 除湿機
  • 扇風機
  • 掃除機
  • エアコン
  • 棚、椅子、机系の家具
  • その他、役立ちそうなものとか使えそうなもの

非常に申し訳有りませんが、郵送の場合は元払いでお願いします><
大阪もしくは兵庫県内であれば(場所にもよりますが)日程相談させていただいた上、引き取りに行きます。
お持ちいただける方、大歓迎です。

ご協力いただける方はTwitterかFacebook、もしくはcontact@sagadylan.comまでご連絡下さい。

最後に

乱文、長文になりましたが、最後までお読みくださった方、ありがとうございます。

今後このブログでは、残ったアメリカ横断記もまとめつつ、田舎暮らしのアレコレや佐用町や日本のあちこちの情報、また相変わらずのガジェット紹介なんかもしていきながら、活動内容の報告なども合わせて行う、相変わらず雑記的なスタイルで運営していきたいと思います。

活動の応援の意味合いも含めて、ブックマークやRSS購読、その他SNSフォロー、また記事のシェアなどしていただけると幸いです。

よろしくお願いします。

そんな感じで。

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さがやん
ブロガー/企画屋
仕事や遊びを効率化するガジェットやツールを愛して止まないブロガー。大阪でデザイン制作やスタジオ運営をする会社を経営しながら、田舎の古民家と行き来する二拠点生活を行っています。
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