大阪と兵庫県佐用町を行き来する生活を送っています。
Door To Doorで大体1時間半くらいなので比較的近いのですが、二つの拠点を持つということはやはり、家賃だったり移動交通費だったりとそれなりにコストがかかります。
それでもぼくが二拠点生活を続けるのはやはり、その生活から受ける恩恵が多いから。今回はその中でも大きなウエイトを占めている「ありがたみの往復」というものについてお話してみたいと思います。
二拠点生活に求めるもの
二拠点生活をする人たちの目的は様々ですが、その根底にあるのは「環境の変化による思考の変化」ではないでしょうか。
都会で普通に働きながら週末は田舎で自分の好きな農業に勤しんだり、あるいは日本の家と海外の家を定期的に行き来することで大きくリフレッシュしたり。
そういう全く別の環境下で違う生活をすることで、片方だけではできない体験を通じ、自分の中の価値観を一定にせず、考え方に幅を持たせることができる。
それが結果、人生をより豊かにしてくれる。
ぼくがこの二拠点生活を続けているのまたこれと同じ理由です。
常にライトなカルチャーショック状態
大阪で生まれ育ったぼくにとって、家から徒歩圏内に交通機関やコンビニ、飲食店があるような生活は「当たり前」でした。
カフェにバーにカラオケに映画にボーリングにライブハウスに、と街へ出ればいくらでも遊ぶ場所がある。だけど地域の繋がりは希薄で、二つ隣はもうどんな人が住んでいるのかも知らない。
対照的に、佐用町では車がないとまず生活ができません。家から徒歩圏内で買い物できる場所は、不定期に開店している駄菓子屋さんと自動販売機のみ。
遊ぶような施設もないので、何かしたければ隣町まで出るか、あるいは町内で飲むか、綺麗な川で釣りでもするか。
ただ近所の人たちとの距離は近く、とれたての野菜や作ったおかずを譲ってもらったり、たまに用もなく訪ねてきては小一時間話をしたり。
こういうライフスタイルを不定期に行き来することで、常に“ライトなカルチャーショック状態”へと自らをおいています。
大阪では街に出る度に「やっぱり利便性って重要だよね」「ご飯食べる所多すぎて迷う」なんて思いつつ、
佐用町の豊かな自然に触れる度に「空ってこんなにキレイなんだ」「とれたて野菜うめぇ」と毎度感動しています。
それぞれに住んでいると、どちらも「当たり前」のことです。
だけど二つの場所を行き来しているおかげで、ぼくはそれらを“当たり前”と思わずに”両方に感謝”することができます。
ありがたみを往復するということ
人は誰しも幸せになりたいと思っています。しかし、一度得た幸せが当たり前になっていくと喜びは薄れ、感謝の気持ちは薄くなっていくもの。
ではその幸せな気持ちをキープし続けるためには、どうすればいいのでしょうか?
常により上の幸せを目指していく、というのも一つですが、もう一つは幸せの幅を広く持つということ。
幸せに感じることのできる幅が広ければ、常に上を目指さなくても、隣や斜め後ろに向かっても、幸せを感じることができます。
ぼくが二拠点生活に感じている最大の魅力は、まさにそんな部分。
行き来する度に「買い物がすぐできるってありがてえ」「空気が綺麗でありがてえ」「電車にすぐ乗れるってありがてえ」「とれたての野菜ありがてえ」みたいな、片方だけでは感じられない感謝を常に繰り返しています。
こうして「ありがたみの往復」を繰り返すことで、常に自分の中での幸せに対しての価値観の幅を広く持つことができる。
それが結果的に人生を豊かにしていく、ような。
ぼくにとっての二拠点生活というのは現在、単純なライフスタイルの変化を楽しむだけでなく、自分の中の価値観を固定化させないための重要な活動となっています。
いつまで続けるのか、どのように続けていくのかは全然決めておらず、時の流れに身をまかせ的な部分はあるのですが、この生活の中に可能性を感じる限り、継続していければなと思います。
このライフスタイルには、現代人に必要なものがたくさん詰まっているような気がします。
二拠点生活で得た気付きを、引き続き発信していければ、と思います。
そんな感じで。