Day11. 一つの場所で暮らし続けて飽きることはないの?(バージニア〜ワシントンD.C.〜ニューヨークシティ)

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一度きりの人生、いろんな場所を見てみたい!いろんな経験をしてみたい!

そういう思いを地で行き、住む先を次々に変えて、旅をしながら暮らすという、いわゆるノマドライフ。

インターネットが発展し、必ずしも仕事をする場所が制限されない現代だからこそ可能になってきたこの暮らし方、生き方が、ここ数年ずっと注目を集めているし、それに憧れている人も多いとおもいます。

ぼくもずっとそういう暮らし方に憧れていました。

でも、バージニアで25年暮らした叔父から聞いた話からは、そこに対する新たな気付きを得ることが出来ました。

ぼくは一体、何のために「旅」をしているのだろう。

さらばバージニア

この日、ぼくは三日滞在したバージニアを発ちました。

あまりに濃い三日間を経て、これから次の目的地、ワシントンDCを目指します。

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出発の際には、先日のキャンプファイヤーで使った食材やその他もろもろを叔父叔母夫妻から頂きました。

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「次のキャンプでも、ぜひスモアを!」

二人の満面の笑顔に送り出されて、後ろ髪を引かれながらバージニアを離れます。

ワシントンDCからの孤独な道のり

バージニアから約2時間ほど。

アメリカの首都、ワシントンD.Cにたどり着きました。

特に何がある、というわけではなかったのですが、なんとなく、旅する上でホワイトハウスだけは見ておきたいな、と思い、足を運びました。

しかし到着した時にはあいにくの雨。

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豪雨という時ほどではありませんでしたが、ひたすら降りしきる雨とビルの立ち並ぶ景色が、何だか自分を取り囲んでいるような気がして、心地よくはありませんでした

肝心のホワイトハウスも、見たところで大きな感動はなく。

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アメリカの首都。本当の中心地。多くの友人が、薦めてくれた場所。

たくさんの有名な観光スポットがあり、見どころも多い楽しい街だよ、と聞いていたのですが、徐々に勢いを増す雨とあまりに高い駐車場代に心折れ、滞在一時間足らずで、ホワイトハウス以外に特に何も見ることなく、その場を後にしました。

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高速道路に乗ってからは、凄まじい豪雨でした。

前の車の水しぶきに前方が見えなくなり、まっすぐ走ることすら困難な状況。

ハンドルをしっかり握りしめて、霞む前方の車のテールランプを目で追いながら、頭の中ではずっと叔父との会話を反芻していました。

叔父の話

叔父夫妻はもう25年ほど、バージニアに住んでいます。

ノルウェー、ヴァイキングをルーツに持つその血筋故か、彼は若いころからアメリカを何度も旅し、叔母と結婚してからも様々な場所で暮らしました。

しかし25年ほど前にこのバージニアにたどり着き、以後ずっとここで暮らしています。

25年同じ場所、同じ家で暮らす。

それも、新しく建築物が建ったり、施設がバンバン増えていくような場所ではなく、何十年もほとんど景色の変わらないような、田舎で。

ぼくは叔父に聞きました。

「こんなことを聞くのは失礼かもしれないけど、ここでそんな長いこと暮らし続けて、飽きたりしたことはないの?」

叔父は即答しました。

「ないよ。」

そしてこう続けました。

「ここに暮らす人は保守的な人も結構多いから、考え方が固くて、そういうところでうんざりしたことは何度もある。だけど、場所、という意味では全くない。」

「だって、天気も、雲の形も、草木も、毎日全部違う。毎日少しずつ変わっていく自然を見ていれば飽きることはないよ。」

叔父のこの言葉に、ぼくは衝撃を受けました。

自然が変わっていく。それは当たり前のこと。

樹木や花の成長も、天気による景色の変化も何もかも、当然のことです。

でも、そこでの(少なくともぼくの目にとっての)微々たる変化は、決して「変化」として捉えられるほど大きなものではありません。

ぼくが今現在求める変化というのは、もっと視覚的な、あるいは肌感覚的な、わかりやすい変化です。

故に毎日違う場所で、違う人と、違うことをしたいと思い、その思いの究極系として、旅をしています。

五感で「明らかに全く違う」と感じられること。それがぼくにとって「変化」だと思っていましたし、その日々の変化が理想だと信じていました。

しかし思えば、日本の古来、俳句や詩歌のような世界では、そういう微妙な景色の移り変わりを描くことは当たり前で、「季語」なんてものを要するのはまさにその表れです。

かつて人は、車も、新幹線も、LLCもなかった頃、移動することが決して容易でなかった人たちは、そのような目の前の事象の変化を、しっかりと楽しむことができていた。

あまりに人工物が増え、電子に囲まれ、華やかになっていく世の中で、(先人たちに比べて)まだまだ若い、そして生まれた時から「デジタル」が身近にあったぼく(ぼくら)は、その自然のゆるやかな変化を捉える感性が、随分と鈍くなっているのかもしれません。

あるいは、そのような機微は年齢を重ねるにつれて感じられるようになっていくものなのでしょうか。

バージニアを出てから、ずっとこのことを、もやもやと考え続けていました。

ぼくが旅を続する理由

叔父のように、ずっとある景色のその機微を楽しみながら生きる、そんな人生は、とても豊かで、幸せだろうな、と感じます。

だけどぼくはまだまだ、世界を見たいと思っています。いろんなものを見て、いろんな人に会い、いろんなものを食べ、いろんなことを感じたい。

何より、まだまだ自分にとっての最高の場所、「ここだ」と思える場所を見つけていない。

(これは「生き方」にとっても同じことが言えます。)

叔父も、たくさんの「旅」を経て今の場所へとたどり着いてきました。彼にとってのバージニアを、ぼくもまた、見つけたいなと思うのです。

だから、もっと旅をして、いろんなところで暮らして(移住)、そして理想の「ここだ」と思える安寧の地に暮らしたい(定住)。

ぼくらの未来の世界に、安寧の地なんてものがあるのかどうかはまた、別の話ですが。
(あるいはそれを作ることが、今ぼくらにあたえられたミッションなのかもしれませんね。)

この日の模様を動画でも

そんな感じで。

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