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僕らは当事者として、「出来事」をどれくらい「自分ごと」として捉えられてるのか。

世界中から人が集まるニューヨーク。

そんな街で暮らし始めてから、様々な国籍の友人がたくさん出来ました。

自分の狭かった世界は彼らによって広がりを持ち、日本では得られなかった考え方や文化などの多様性を得ることも出来ました。

ただそれと同時に、世界で起こっている様々な悲しい出来事が、「実は他人事ではない」ということにも気付きました。

当事者意識

テレビでは、お笑い芸人がひたすら食レポしてると思えば年端もいかないアイドル(?)が日本経済についてコメントしていたり。

電車の中では食い入るようにスマホでパズルゲームをする中年の横で中学生が経済誌を読んでいたり。

カフェでは二人組の女子高生が向かい合い、一方は女性誌のこの夏のモテ服特集を、一方は英語の参考書を、二人とも食い入るように読んでいました。

あえて二者を比較するように書きましたが、別にどっちが偉いとかを言うつもりはありません。
もしかしたらアイドルはヤラセかもしれないし、中学生は読んでるフリかもしれない。
女子高生に至っては、僕の印象と二人の成績はもしかしたら真逆かもしれない。

話が逸れました。

こういう対称的な二者を見ていると感じるのが、「当事者」というキーワード。

実際のところはわかりませんが、例えばスマホに夢中に中年と経済誌を読む中学生のどちらが世の中の流れに対し、自身に関わりあることとしてちゃんと意識を持っているか、という話です。

世の中の流れを、世界の出来事を、僕たちはどれくらい「当事者」として捉えられているんでしょうか。

Facebookに書かれたあるメッセージ

ある日僕は、Facebook上でこんな記事をシェアしました。

タイトルは煽りっぽいですが、内容はスリランカ生まれである筆者が、「外人扱いされてきた日本人」という立場から「外人・外国人」という言葉に対しての意見を書かれた記事です。

僕自身はこの記事に対し賛成や反対などの意見はなくただ「難しい問題だし考えるべきだな」という思いからシェアしたのですが、この書き込みにあるコメントが付きました。

たまたまリアルタイムでFacebookを見ていた僕は、画面の右上に表示されたそのコメント通知を偶然見かけたのですが、そこに書かれたある人物からのコメントを、僕は読むことが出来ませんでした。

というのもそのコメントを書いたのはニューヨークの美大での元クラスメイトで、2年間の準学士コースを終えて自らの国に帰ったギリシャ人の女の子

彼女が書いたコメントは、全く知らない文字でした。(後からそれがギリシャ語だとわかりました。)

シェア記事のタイトルがタイトルなので、少し嫌な予感がして彼女の書いたコメントをオンライン翻訳にかけてみたところ、

「日本はギリシャを助けると約束したのに、なぜそんなことを言うの?」(意訳)

というような内容でした。

実はこの前日は、EUがギリシャの支援交渉の打ち切りを決定した日であり、そこからの債務不履行、銀行休止など、まさにギリシャは混乱の真っ只中でした。

僕は凍りつきました。

その日の朝、ニュースでコーヒーを啜りながらぼんやりと見ていた「ギリシャ破綻」の文字が、急にリアリティを帯びて僕に迫ってきました。

ブラウン管の向こうは異世界じゃない

長い間、(きっと多くの人がそうであるように僕もまた、)テレビで見る内容はどこか非現実的な出来事のように感じていました。

芸能人の世界は当然として、ニュース番組で報道される内容も、なんだかファンタジーのようでした。

9.11の映像もイラク戦争の映像も、現実とはわかっていながらもどこか非現実的な、「自分とは無関係な出来事」と思っていました。

今回のギリシャ問題もそうです。

彼女からのコメントの内容を理解するまで僕はそのギリシャ問題を、まるで自分とは全く関係のない話のように思っていました。

でもそれは違いました。

僕の、友達の話なんです。彼女の国で、今実際に起きていることなのです。

一緒にグループワークをして、図書館で意見を出し合い、ちょっとケンカもして、だけど一緒に3週間のプロジェクトを乗り切った友人。

その彼女の国が今、大変なことになっている。

僕には、そのコメントに返す言葉が見つかりませんでした。

おそらく彼女は、僕のシェアした記事のタイトルをFBの翻訳機能などで読んだのでしょう。
そして、僕がそういう意見の持ち主だと勘違いし、あのようなコメントをしてきたのだと思います。
だから彼女は怒って、僕のコメント欄にあんな内容を書いたのだと思います。

僕は悩みました。

「そういう意味じゃないんだ!勘違いしないでくれ!」
と自分の名誉のために彼女に返信することも出来ましたが、必要なのはそんなことじゃない。

彼女の国は現実として破綻しようとしていて、今までの生活は崩壊せんとしていて、そんな中でもしかしたら彼女は今、パニックになってしまっているのかもしれない。

そんな人に対して、僕が僕を守るために言い訳することは、何の解決にもならない。

頭を抱えて返信に悩むこと15分ほど。
いつの間にか彼女のコメントは消えていました。

彼女自身が「早まった」と消したのか、記事を全文翻訳して勘違いに気づいたのか、結局のところは何かわかりません。
ただ、消したということは見られたくないということ。

結局僕は何も見なかったことにして、その後彼女にコンタクトを取ったりもしていません。

当たり前のことだけど

テレビ、ニュースの向こう側で起きていることは、決して他人事ではない。

どれだけささやかなことであっても、それが巡り巡って自分にも関わってくるかもしれない。

実際僕の場合は、たった一人介しただけでもう身近な出来事になりました。

あらゆる出来事を他人事としない。

常に自分に関わりあることとして捉えていく。

「世界で生きる」ということは、そういうことなのかもしれません。

戦争のつくりかた

海外に出れば僕らは皆、日本代表だということを忘れないで欲しい。

テレビの日本礼賛番組から見る日本人の欧米コンプレックス

田舎暮らしをしながらサイト運営したり、Webや空間をデザインしたり、ディレクターしたり、文章書いたりしているフリーランス。ブログでは、こんなにも選択肢が多く、だけどなぜか生き辛いこの世界で「どうやったら【楽しく】生き残れるか」をテーマに、日々の暮らしに役立つモノの紹介、効率化、サバイバル術、その他「生きる」ためのあれこれについて書いています。 • • • プロフィール // 問い合わせ // Instagram