世界はお金で狂ってく。イギリスのEU離脱問題で改めて考えるぼくらの病気について

England leave eu  1 of 1
※写真の元ネタが分かった方は是非ご一報下さい。

国民投票によってイギリスのEU離脱が確実になりましたね。

このブログで国際政治に触れるのは初めてですが、少し感じたことがあったので書いてみることにしました。

ちなみにイギリスのEU離脱問題に関してはこちらの記事が非常にわかりやすかったです。
▶︎3分でわかるイギリスのEU離脱問題とその影響について – さようなら、憂鬱な木曜日
▶︎「イギリス国民が世界恐慌を起こしてでもEU離脱を希望した理由」 イギリス在住のめいろま氏が語る分かりやすい解説 | netgeek

これらの記事を見ると、今回の問題の最大の原因は「移民・難民」だったことが分かります。
というか今も昔も、移民・難民というのは世界中でずっと重要な問題でした。

ぼく自身は昔から関心が高かったわけではありませんが、ニューヨークでの生活でビザに対する考慮があったり、あちらで多くの移民の人と触れあったことや、帰国前のタイミングでアメリカ大統領選挙戦が始まりトランプ勢が「NO移民」を掲げていたこともあって、移民問題はいつのまにかとても身近になものになっていました。

この問題の根幹をなすものは何なのか?
それは、(びっくりするくらい当たり前ですが)お金です。

移民・難民の大半は、雇用と治安を求めて祖国から移住してきます。
それらの問題は当然お金がきっかけとなっているわけです。

世界は、お金で動いています。
だから、世界はお金で狂っていくんです。

お金はガンだ

移民・難民だけではありません。
戦争でもなんでも、社会問題の根幹にはいつもお金が潜んでいます。(差別だって宗教だって根っこを辿ればお金ニアリーイコール利権が絡んでる)

もうこればっかりはどうしようもないんですよね。
だってぼくらはもうお金から離れて生きていけないから。

生まれながらにして貨幣経済圏にいたぼくらは、お金を使って生きることが当たり前になっています。
何をするにもお金を使うことが常識で、逆に言えばお金がなければ何もできないとすら考えています。

本来、お金というのはただの「価値」の代用品でしかなかったはずなのに。

でも資本主義経済の中で、「お金のためにお金を稼ぐ」ことが当たり前になり、いつしか本来の価値とは別の場所で「お金」が動き始めました。

皆、何に使うかもよくわからないのにとにかくできるだけたくさんお金を稼ぐことに夢中になりました。

気がついたら体の中に巣食っていた。まるでガン。
あるいは中毒作用のある成分みたいなもんでしょうか。お金菌?

ここから100%脱却するのは凡人には無理

じゃあデトックスして、お金から完全に離れた生き方をするか!といってもそんなこと凡人にはほぼ不可能です。
現行の社会システムの根幹がお金になってる時点で、「文化的な生活」というものはお金を排除しては(ほぼ)成り立たない。

お金というシステムのおかげで発展し、生まれたものも多くありますし、それらによって生まれた豊かさを否定することもできない。(豊かさとは何なのかかという話をすると先が見えなくなるのでとりあえずここはこれで勘弁です)

お金があるからこそ誕生した娯楽もあるし、その娯楽を楽しむ感覚から抜け出すのは簡単ではありません。

そもそもそこから100%抜け出すことが「正しい」かどうかも凡人のぼくにはよくわかりません。

お金を100%悪と定義してしまえば完全に否定出来るのでしょうが、それをしてしまったらお金による恩恵をぼくが受けることが出来なくなる。うん、ぼくもやっぱお金ないと生きられない。

でもみんなお金のことばっか考えるのはちょっと違うと思う

ただやっぱり違和感を覚えるのは、イギリスの今回の問題を受けて個人は皆「円高になった。やったーor残念!どうする?」という思考になってしまうところ。

ぼくだって最初に頭によぎったのは、アメリカの口座に残ってる米ドルのことでした。
毒されてます。本質的な問題はそこにはないはずなのに。

個人の損益云々がどうしても先に出てきてしまうのは、やはりお金というものがどれだけ「生きる」ことのウエイトを占めているかを現していますね。

お金から離れて生きていけるとは思ってない。だけどお金に依存しない生き方の準備をしておきたい。

先にも言いましたが、ぼくみたいな凡人が貨幣システムから離れて生きていくのは無理です。

自分だけがお金を使うことを拒絶しても、病気になれば治療費は必要だし教育の対価にもお金が必要だしそもそも国民としての責任として税金というもの「支払う」必要があるしその他諸々。

誰にも何の責任も持たず世俗から離れて生きていけるのであれば、どこか人里離れた山にこもって狩猟や農耕によって暮らすとかいう生き方をする選択もあるかもしれません。
が、ぼくはまだまだ世俗的な娯楽や快楽を求めることをやめられませんし、同時に一人の人間として社会に対して責任を持っています。

だからそういう意味では貨幣システムから脱出することは出来ないしそうすることも本意でもありません。

しかし、この貨幣経済というものがいつまで続くのか、そもそも安定しているのか、ということには疑問があります。
ギリシャのような例もあります。(▶︎僕らは当事者として、「出来事」をどれくらい「自分ごと」として捉えられてるのか。 – metroglyph メトログリフ)

ゆえにこれからの生き方のリスクヘッジとしては「複数の稼ぎ方を用意する」「外貨を稼ぐ力を身につける」などよりも、「そもそもお金に頼る部分を減らす」という思考が必要になのではないか、というのがここ一年くらいのぼくのスタンスです。

ぼくはこれから、日本の地方での生活を始めます。
これの目的や経緯についてはおいおい書いていこうと思いますが、主目的である仕事を横に置いて個人的な話をすれば、別に「理想の田舎暮らし」なんて求めてこれを始めようとしているわけではありません。
ただ、大阪からニューヨークという都市における生活で、あまりに便利になりすぎた、そして慣れすぎたこの自分自身に違和感を覚え始め、本来の「生きる」ということの意味を見失っている気がしていました。
どう考えたって不便になる新たな生活を通してぼくは、「生きる」ということを本質的に学ぶことが出来たらと考えています。

もしお金が尽きても、
もし円が価値を失っても、
もし経済が破綻しても、
自分や周りの人を貨幣という中間物を通さずに生かせるスキルを得たい。

今はお金と共存しなくてはいけない。
お金がないと買えないものがある。お金がないと作れないものがある。置かないがないとできないことがある。だからぼくはお金を稼ぎます。

だけど、それに依存せず、いざとなったらお金に頼らずに生きる力も、取り戻していきたいとも思うのです。

そんな感じで。

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